HeartBreak One Run

走る。登る。回す。紡ぐ。

糸魚川静岡構造線を辿る(2021.お盆)

糸魚川静岡構造線は、フォッサマグナ西側の境界線。フォッサマグナとは地理的に西日本と東日本を分ける境界線(断層)であり、日本列島を日本たらしめた最も重要な存在だ。この構造線上には、日本人の歴史上もっとも長い間繁栄した縄文時代の中心地があった。中世戦国時代には塩の道。明治以降の日本を支えた繊維産業の礎も中間点の諏訪湖で築かれた。この線を歩き切る。東海道の次に踏破したい目標がこの線だった。

2021年のお盆。ちょうど少し前にオリンピックが平穏無事に終わり、東京では1日のコロナ感染者数最多記録を絶賛更新中。台風9号が3年ぶりに開催されたTJAR2020を中止に追い込んだ。ほぼ同時に発生した台風10号の影響だろうか、Yahoo天気の長期予想では12日以降もずっと雨予報。さすがにこの中アルプス突入は厳しいと判断し、ようやく閃いたのが糸魚川静岡構造線を辿る旅だった。閃いたのは連休の2日前。この旅は半年以上前から想像はしていたけれど、通常であれば真夏のロードなどもってのほか。候補からは外していた。それが雨のおかげで気温30度を超えることはなさそうと分かり、一気に有力候補に上り詰めた。雨予報だって台風のせいで大げさに出すぎているに違いない。台風直後は晴れるのが定石だ。

思い立ったが吉日。急いで荷物を詰め変える。すでに登山用の装備がRush30にぱんぱんに詰め込まれていたからだ。LSD用のシューズを全てはき潰していたことに気付く。急いでスポーツ店に向かい、1万円以下で揃えられるものを物色した。型落ちのAdizero Bostonで行こうかと思ったところ、店員さんの勧めでNIKEの「ライバルAIR」に決めた。結論を言えば、今回の旅では明らかにサポート力不足だった。

2021年8月12日。始発の電車で美川→金沢へ。金沢からは新幹線。電車の中はガラガラで私の座った自由席の車両は黒部駅まで私1人しか乗っていなかった。1時間弱で糸魚川駅。新幹線だと案外近い。運賃も金沢から5,000円程度。お財布に優しい。新幹線のホームでは点字ブロックが飛び込み防止の壁の内側にあってまず驚く。壁に手を当てて歩けばいいわけだな。(きっと違うだろうな)

糸魚川(いといがわ)とヒスイ海岸

そもそもの話、糸魚川という川は無い。JR糸魚川駅の近くを流れている一級河川は「姫川」という。じゃあ糸魚川という名前はどこから来たんだろうか。至徳4年(1387年)の古文書に「糸井川」と表記されたのが分かる限り最古の情報らしい。町のWEBサイトにいくつかの説が掲載されていた。

  • 弘法大師空海が竹に糸を巻いて投げ込んだら魚になった。
  • 「挑み川」が転じていといがわに。
  • 「淀み川」が転じて。もしくは「厭い川」。(災害が多く厭われる川の意)
  • イトヨ(という魚)が市内にいっぱいいたから。水質汚染で昭和のうちに死滅したようだ。
  • 糸井さんの領地(実際新羅から来た糸井さんが治めていたようだが、史実に明記されているわけではない)

https://www.city.itoigawa.lg.jp/dd.aspx?menuid=6285

まぁ、糸魚川の由来は今回の旅の本筋ではないし、どうでもいいや。。。

さておき。駅南口を出てまず目指すのは、1kmも離れていない日本海。海に向かう道には様々な石のモニュメントが並べられている。石の名前や概要も書かれているのが嬉しい。石灰岩やチャート、結晶片岩など、3~2億年前のものがずらりと並ぶ。

小雨がちらつく中1つ1つをゆっくり見ながら歩くと、国号8号線にぶつかる。ちょうど1年前、自転車の旅で通った道だ。道路の先には日本海が広がる。夏! 海! って感じはあまりなく、どんよりした冬の日本海を先取りしたような雰囲気だった。地下道を通って道路の反対側へ。ここに展望台がある。天気が良ければ能登半島も見えただろう。(確か昨年通った時は見えたはずだ)

せっかく糸魚川に来たのだから、少し寄り道をしてヒスイ海岸に向かう。駅から1km程度。その名の通り、この海岸では運が良ければヒスイが拾える。流石に見つけられるとは思ってはいなかったけれど、ヒスイにこだわる必要がないくらい、色とりどりの石が海沿いに敷き詰められている。この石が今回の旅における大事なキーワードの1つだ。

ヒスイは主に蛇紋岩の中に存在する。蛇紋岩は地球を構成するカンラン岩が変質したもの。カンラン岩は通常はマントルに近い地球深くにあり、地表に現れることはほとんどない。糸魚川がフォッサマグナの西端であり、大きな造山活動が起こった地だからこそ、ヒスイに代表される様々な石がここに集まり、その石を求めて人も集った。縄文時代、この地で採取されたヒスイは沖縄から北海道にまで広がり、朝鮮半島でも見つかっているという。およそ5,000年前から始まったとされる国内のヒスイ文化は奈良時代まで続いた。今回の旅はフォッサマグナを辿りながら、ヒスイと黒曜石の産地を巡る旅でもあった。

10分ばかり波打ち際で目を凝らし、でもそもそもヒスイがどんな見た目で落ちているのかほとんど調べていなかった(何せ準備期間はたったの2日だ)ので見つけられるはずもなく。なんとなく綺麗だなーと感じた石をいくつかバックパックの中に転がした。平べったい石も入れた。あわよくばこの旅が上手くいったら。太平洋の大浜海岸でこの石で段飛ばしでもしようと思っていた。折角だからTJARのゴールがある大浜海岸まで行こうと思っていた。

フォッサマグナ

なんやかんやで30分くらい海岸で遊び、ようやく本来の旅路に向かう。姫川の手前で「塩の道起点」の看板を見つける。これはこれでちょっと面白そうなので、少しばかりこの道を北上することにした。少し前に全国のロングトレイルを調べている中で、塩の道トレイルの存在も知っていた。起点は街中だろうけど、きっとそのうち山に入るんだろう。流石にそうなると前に進めないので、きりのよさそうなところで姫川沿いの道「国道148号線」に出る。

ハイドレーションバックに補給する水を買いにセブンに入り、出てきたあたりで雨が本格的に降り始めた。今回の雨具装備はColombiaのレインポンチョ、finetrackのエバーブレスフォトンパンツ、同fine社のL1撥水靴下だ。レインジャケットも持ってはいたけれど、風があまり強くない中ではポンチョが快適。さっと羽織れてバックパックも全面保護。ウエアと違い「衣服内のムレ」という概念が存在しないのも利点だ。フォトンパンツは安定の性能。以前溶剤系の撥水剤を試しに付けて、風合いが固くなってしまったのが少し残念なところ。L1撥水靴下は数年前に購入したものの、フィット感の悪さからあまり使っていなかった。今回の旅はスタートから雨が降ると予想されていたので、足裏トラブルの軽減につながらないかと期待して採用した。が、結果を先に行ってしまえばやはりあまり良くはなかった。

国道には概ねちゃんとした歩道がついていて快適に走ることができた。松本に着くころには1,000mほど標高が上がるものの、100kmの道のりでたったそれだけなので、傾斜を感じるような道は多くはない。元気があれば普通に走っていける。10kmほど走ったところで、フォッサマグナパークの駐車場を見つけた。ここから少し歩けば、露頭したフォッサマグナの境界線を見られるようだ。これは行くしかない。JR大糸線の上を越え、根知川に沿った遊歩道を進む。ところどころに看板が設置されていて、西日本と東日本のちょっとした違いについて紹介している。例えばポリタンクの色。西日本は青色に対して東日本は赤色。ちなみに石川県は青色だ。そのほかにも、おにぎりの呼称。出汁の種類。フォッサマグナとの直接的な関係は分からないけれど、調べてみれば確かに日本の様々な文化がこの断層を境にして切り替わっている。1kmくらい進んだあたりで、ようやく断層に辿り着く。ここが地理的な東と西との境界線だ。

そもそもフォッサマグナとは何だろう。

もともと日本本島は大陸の一部だった。およそ2,000万年前、日本にあたる場所が大陸から切り離され、1年に35㎝のペース(結構早い)で移動。1,600万年にはおよそ今の位置に至る。はじめ1つの長い固まりだった陸地は、移動する中で真ん中で2つに割れ、西日本側は時計回りに、東日本側は反時計回りに動き、2つに分かれた陸地の間には大きな溝が誕生した。これがフォッサマグナである。北は糸魚川から柏崎のあたりまで。南は静岡から千葉のあたり。深さは最低でも6,000m。今のところこれ以上深いところを探る調査ができていないのだ。

一時は日本海と太平洋を繋ぐ海の道にもなっていたフォッサマグナは、その後土砂が堆積して陸地化していく。このため、糸魚川の境界線の西(ユーラシアプレート側)が大陸由来で3億年前の古い岩石帯であるのに対し、東側(北米プレート側)は2,000万年前の比較的新しい地層(堆積岩)で出来ている。西の険しい北アルプスに対し、東のたおやかな高原帯の違いはこのあたりに由来しているのだろう。

私の中での疑問は、日本海の深さがせいぜい4,000mなのに対し、フォッサマグナが6,000m以上も深いとされていること。であれば、糸魚川から海側にも切れ目は続いているのでは? その断層を辿ればフォッサマグナの由来に繋がっているのではないか。まぁ。私は研究者じゃないので、いつか答えが出ればいいなぁぐらいの気持ちで待っています。

旅の計画は直前になってまとめたものだけど、こうした知識は相当前から蓄えていた。東海道五十三次を歩いた時に得た反省だ。旅の面白さは知識の有無や深さによって驚くほどに広がる。

姫川と塩の道

国道148号線は姫川に沿って伸びる。川沿いは遠目でみても色んな石がゴロゴロしていて、きっと大きなヒスイも混じっているんだろうと思った。ただ、ヒスイを採取してよいのは海岸のみ。河川は自然保護区内にあたる。

前述の通り、基本的には平たんに感じる道が続き走りやすい。一方、中世に使われたのは川沿いではなく、山の中を辿る「塩の道」だ。何故そんな歩きづらいところをルートにしたのか。それは姫川が相当な暴れ川だったからだ。直下に断層があり、西にはせり立った古い岩石地盤。地震でもあれば簡単に崩れてしまうんじゃないだろうか。さらに、川沿いに平地部分が見られるのは海から15kmくらいまで。そこから先の148号線はトンネルの連続となる。トンネルが掘られるということは、掘らなきゃ道になる平地が無いということだ。最も驚いたのは外沢トンネル。直前の工事現場事務所前でジュースを1本補給し、何の気なしに進む。歩道はちゃんとついていて歩きやすい。が、いつまでたっても終わりが見えない。「非常口まで200m」の緑の看板を見て、ああようやく終わりかと思い裏切られるの繰り返し。壁を見ていると、白いチョークで「2000/5776」の文字。もしかしてこのトンネル、6km近く続くのか? 実際1時間以上もそのトンネルの中を歩くことになった。確かにこれは川沿いは歩けない。ちなみにこの区間、Docomo(ahamo)の電波は調子が悪い。iTuneでTM Revolutionのコンピレーションを聞きながら歩いた。こういう時にダウンロード機能有のサブスクは便利。トンネル内は歩道はあるものの、排水溝の蓋が割れていたり浮いていたりして若干歩き辛い箇所もあった。

長い長いトンネルを抜けてもまだトンネルはいくつも続く。最後の1つのあたりで自転車に道を譲る。日本一周をしているようだ。その先には「道の駅おたり」。降っていた雨はいつの間にか止み、走りやすいよう雨具を脱いだ。

道の駅には立ち食いソバ屋や温泉があって、ちょっと一息つくにはとてもよさそうだ。ただ、私の場合は携帯食をたらふく持っていたので、隣接する公園で食べることにした。台風と雨の予報が出ていなければ、本当はこのお盆は山に登るつもりだった。携帯食はその準備で買ったものだ。ベンチに座り、靴下を脱ぐ。結局びちゃびちゃになった撥水靴下はここでお役御免。水を含んだインソールを絞り、なるべく足回りの水気を落とす。足にはプロテクトJ1を塗り直す。少し前の山行で蓋が開いてしまい、結構な量を垂れ流してしまっていた。もう1~2回分しか中身は残っていない。ちなみにこの公園には恐竜の大きなモニュメントが立っている。西側(3億年前)の地層になら恐竜の痕跡があっても全く不思議ではない。 恐竜が栄えていたのは、2億3,000万年前(三畳紀後半)から6,600万年前までの1億6,000万年。 日本本島が大陸から離れたのが2,000万年前。恐竜がいたころはまだ日本なんて存在していなかったということが素直に驚きだ。

20分ほど休憩をして、プロテクトJ1が乾くのを待って先に進む。スタートからまだ30km地点。その割には足に疲労感が出始めている。きっとシューズのせいだろう。7月以降山に入ることはあっても、ロードランニングはあまりやっていない。練習不足のつけが回ってきたのかもしれない。少し進み、トンネルを1つ越えるとJR南小谷駅。ここは行きつけの散髪屋のお兄さんが話していた駅だ。彼は昔大糸線で糸魚川~松本まで旅行をしたことがあって、その際このJR南小谷駅で長いこと待たされたということだ。 この駅は、JR東日本の管轄とJR西日本の管轄との境界駅。電気の周波数が変わるため、ここで必ず電車を降りなければならないのだ。じゃあスムーズに乗り換えができるかというとそうではない。当時のお兄さんはおよそ1時間半この駅で待たされた。周りには本当に何もなく、ただひたすら待つ時間が試練だったそうな。例えばこの境界を1つ隣の北小谷駅にしてしまえば、すぐ近くの道の駅でのんびりすることも出来ただろう。折角の、言っちゃなんだが村唯一の観光スポットが近くにあるのに・・・惜しいところだ。

白馬から大町へ

しばらく歩いてようやく長野らしい高原の雰囲気が出始める。白馬市に入った。この時点で時刻は16時。想定よりだいぶ遅い。さらに見つけた青看板には松本まで64kmと書かれている。この看板の表記が間違えていることは経験則上無い。一方歩いてきた距離はここまでで50km。松本までの距離が想定よりも10km以上長くなっている。

疲れが溜まって走り続けるのが難しくなって、たまらず休憩に入ったのはスーパーマーケット。お弁当を買おうと思ったけれどお盆だからかオードブルのようなものばかりで、結局10個入りの大きなシューマイと焼きそばパンを買った。ついでにハイドレの水もここで再補給。シューマイは想像以上においしくて、ぺろっと食べてしまった。少し歩くとJR白馬駅。大型バックパックを背負った人を見かけて、こんな天気でも登る気なんだなと驚く。このあたりには登山用品を扱うお店がとても多く、時間に余裕さえあればぜひいくつか見て回りたかった。実はこの時点で歩く余裕が無くなってきていた。

姫川源流の湿原を過ぎたあたりで雨が再び降り始める。今度は結構な本降りのようだ。雨具を着込む。が、どうしてもシューズの中は水浸しだ。日は沈み暗くなり、足場も見えなきゃ走りようがない。右足のかかとに大きなマメができている。耐えて歩くのみ。観光スポットの仁科三湖。真っ暗でなんも見えね。

夜8時頃、ドア付のバス停を見つけて潜り込む。深夜未明に一時雨が収まりそうだったので、それまでここで休むことにした。ベンチは寝るには細すぎて、床にマットを敷いて横になる。3時間ほど眠れただろうか。夜1時ごろから再び歩き始める。休憩で足は結構回復していて、雨も止んでいたのでしばらくは走ることもできた。けれども少し進むと、今度は左足の股関節に異常な痛みが現れ始めた。無理やり進もうとするが痛みは強くなる。3週間ほど前に信越トレイルを歩いた際に痛めた右肩の痛みも再発し、バックパックの重み(といっても7kg程度)をストレスに感じてしまう。足の裏は、痛い。だいぶネガティブな要素が溜まっている。気分を変えようと用水路の水で顔を洗おうとキャップを脱いだ際、ボチャンと大きな水音。何を落とした? と思っているうちに、水の中を明かりがずんずん流れている。ヘッテンを落としていた。流れは早くて追いつけない。仕方ない、ハンドライトで行こう。

実はこの旅ではほかにも落としているものがある。旅の地図だ。山と高原地図のアルプス総図がちょうどいい具合に今回の道程をカバーしていて、そこに道の駅や距離などを書き込んでいた。バックパックのフロントに差し込んでいたところ、ポンチョに擦れて飛び出したのだろう、いつの間にか無くなっていた。気付いたのは新潟と長野の県境あたり。ほぼ序盤の道のりで、一回も見ることなく無くしてしまった。

同じ失敗は昨年、高島トレイルに挑んだ際(2回目)にもやっている。地図なくして山道に入ることはできず、結局コンクリの道だけ走って帰った苦い思い出だ。この失敗を経て地図専用の入れ物を用意したのだが、反省はいつの間にか忘れてしまっていたようだ。大町の中心街に到着したのは3時頃。眠さはそれほどでもないが、股関節の痛みが強くて走ることができない。直前に見たすき屋の看板でテンションが上がる。あったかいご飯を食べれば気分も変わるかもしれない。

牛丼特盛を食し、消化しながらゆっくり進む。高瀬川を渡るころに再び雨が降り出す。

川沿いを進むとマレットゴルフ場があり、東屋のような休憩場所があった。ここで少し休むことにした。ベンチが畳で出来ていて寝心地がいい。シューズも脱いで足をなるべく休ませる。そうしているうちにも雨は強くなっていく。右肩の痛みをかばっているうちに左肩にも痛みが出ていた。右かかとのマメは水を抜いてだいぶ痛みは減ったものの、足裏には相当疲労がたまっていて歩くのもつらい。何より股関節の痛みだ。真っ直ぐに足を出すことが出来ない。残念ながら、ここで今回の旅は終わりだろうと思った。1時間休憩をして、結局痛みが変わらないことからリタイヤを決めた。

そこから先、まずは近くの駅を探した。幸いJR信濃常盤駅が2km先にあった。トイレで体を拭き、下着やシャツを全て着替える。登山客には慣れている地域だろうけど、やっぱり汚いのはイヤだ。信濃常盤駅→松本駅へ。松本からは篠ノ井線で長野駅。ここで新幹線のチケットを買い、帰路についた。総額11,000円くらい。結構高い。大糸線で糸魚川まで鈍行で行けば6500円程度に抑えられるのだが、南小谷駅の待ち時間が我慢できなかった。ホント、近くに道の駅(温泉)があればよかったのに。

結局のところ、岡谷市に息づく繊維の歴史や八ヶ岳の黒曜石文化。南部フォッサマグナの成り立ち。ナウマンがフォッサマグナの存在に気付いたのは南部を見たからだった。それら全てが次の旅への持越しになってしまった。

一回目の旅 後日談

同日14時頃に自宅に帰り、2日ほど寝込んでいるうちに股関節の痛みは回復した。肩の痛みも快方に向かっている。その間、日本列島を覆った「大気の川」は各地で過去例の無い雨を降らし、九州を中心に氾濫や浸水が相次いだ。私が歩くはずだった岡谷でも土砂崩れが発生し、各種交通網は新幹線も含めて麻痺していた。結局のところ、無事ゴールの太平洋まで歩き通せたとしても、そこから家に帰るにはたくさんの困難が待っていただろうし、何より被災した人を横目に歩いているわけにはいかない。ギリギリ引き返せるラインで引き返した。とっても自分勝手な評価だろうけど、このリタイヤは間違った選択では無かったと思う。また次がある。秋の連休は今度こそ山で使いたいし、そうすると来年のGWになるかもしれない。次こそは、という気持ちでいっぱいだ。

ちなみに、リハビリを兼ねて手取川を走っていた時、美川大橋の真ん中付近でコンクリの亀裂を見つける。下から何かが盛り上がって、膨張に耐えられずに亀裂が入ったようだ。普段であればなんてことは無い。けれどこの形が「オラーコジン」じゃないかと気づいた時、世界は本当に面白いと思った。

私の読んだ本の作者は、この亀裂「オラーコジン」がフォッサマグナになったと書いている。

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テーマの著者 Anders Norén