HeartBreak One Run

走る。登る。回す。紡ぐ。

信越トレイル110kmスルーハイク

■日程 2022年8月11日~14日
■距離 150キロ


8月11日 1日目(JR黒姫駅~斑尾山~赤池)

始発でJR美川駅を出発し、新幹線と3セクを乗りついでJR黒姫駅に着く。ここから旅はスタートだ。登山口のある菅川まで最短経路で、野尻湖を南回りで歩く。距離はおよそ9キロ。ラジオを聴きながら何気なく歩いていると、途中に「象の小径」なるトレイルを見つけた。初日は時間に余裕があることだし、ちょっと入ってみる。野尻湖に沿うように続く道だが、木が生い茂っていて湖はあんまり見えない。それでもひたすらコンクリの道を歩くよりは全然楽しい。この時期水が豊富なところにアブが大量発生するのは世の常で、さっそく顔の周りにブンブンまとわりつき始める。ディート30%配合の虫よけを体に吹きかけるものの、どこかに隙はないかと探るアブたちが離れていくことはない。アブは黒色を選んで襲ってくるそう。私の生涯の友となる(と勝手に思っている)カリマーの大型ザックは残念ながら黒色で、そのせいか背後から襲われることが多いような気がする。今度は巷で話題の「おにやんまくん」でもつけてみようかなんて思いながら、手ぬぐいを振り回しながら菅川を目指す。菅川は昨年も使った登山口で、手前に流れる農業用水から2リットルの水を補給。象の小径に寄り道していたり、浄水している時間などでこの時点で20分のビハインド。さらに斑尾山山頂に向かう道を見失って工事車両の道を進んでしまい、さらに時間ロス。10分ほど歩いてさすがにおかしいと思い、事前にDLしていたYAMAPの地図で確かめてミスに気付いた。こういう時にGPS連動のスマホ地図はとても役に立つ。

水を含めて総重量17キロのザックは結構重くて、上りのペースが上がらない。息だけが激しくなって途中休み休み歩く。それでも斑尾山についたときにはビハインドを8分に縮めていた。今回のスケジュールはコースタイムに0.8掛けで算出したもので、実際は0.7~0.75掛けぐらいのほうが合っているのかもしれない。展望の良い大明神岳の山頂は高校登山部らしきご一行で占められていて、ちょっと居づらい感じがしてスルー。信越トレイルのスタート地点である斑尾山ではちょっと気合を入れようと思ったけれど、ここでもお弁当を食べているご夫婦がいて、あんまり恥ずかしいことが出来ない。さっと写真だけ撮って、スルーハイクの旅を始める。次の標識にたどり着くあたりでこれまたご夫婦。飲み物すら持っているか怪しい軽装で、人里に下りるにはどう行けばよいか聞いてきた。地図を見せてあれやこれらお話しし、来た道を戻ることを推奨した。斑尾山はいろんな方向から簡単にアクセスできる分、登山道が結構複雑。迷って別の登山道に下りてしまうと、そこからスタート地点に戻るのが大変だ。

信越トレイルの特に序盤は、石川県では見たことのないようなキノコがたくさん生えている。昨年見つけて感動したタマゴタケもそこら中にあれば、真っ白なものや真っ黒なものまで。なんだか怪しい柄のものもあれば、とても大きいもの。そんなキノコには時たまナメクジがくっついていて、こいつがまた巨大で気持ち悪い。

初日で行動距離もそれほど長くはないけれど水の消費は激しく、袴岳と赤池の分岐あたりで水が残り500mL程度になってしまった。背に腹は代えられないから、本当は3日目に使うはずだったRedBullをさっそく投入。その勢いで一気に袴岳を越え赤池へ。結局赤池のキャンプ場に到着したのは、当初の予定通り16時10分だった。

いつもなら日の出ている時間に休むなんてもったいない!と思うところだけど、キャンプ場をつなぐ今回の旅では仕方ない。たまにはゆっくり夕暮れでも楽しもうとテントを張ったところ、日差しで中が灼熱地獄。とはいえ蚊やアブに刺されるのも嫌だし、汗ダクダクでテントにこもった。この日赤池のテントサイトには私以外に2人のハイカー(いずれもソロ)がいた。が、簡単に挨拶をするだけでとくに話はしなかった。The 人見知り。メールを見ると、9月に予定されていた白山白川郷ウルトラマラソンの中止のお知らせが届いていた。8月頭の大雨でホワイトロードが崩れたのは知っていて、まぁそうなるだろうとは薄々思っていた。ただ、今回は数年ぶりのホワイトロード区間往復コース。ちょっと楽しみにはしていた。

8月12日 2日目(赤池~桂池~鍋倉山~光ケ原高原)

朝3時ごろ。ちょっと早い朝食をとり、食後には優雅にコーヒーを頂く。この日もそれほどスケジュールは詰まっていなくて、次のテントサイトには遅くとも午後6時には着くだろうと見込んでいた。身支度を整え、パッキングを済ませ、赤池のテントサイトを出発したのが4時50分。ここから先のトレイルはとても歩きやすい。早朝の涼しさも相まって、かなり調子がいい。

途中の湿原で水を補給。希望湖にはすでに釣り客が何人かいた。毛無山に向かう途中で若干のケモノ臭。声を出しながら歩く。毛無山まではおおむね0.8掛けのオンスケで進んでいたが、湧井に向かうあたりでなぜか加速する。道路に出るあたりで30分のアドバンテージ。ただあまりにテキパキ歩きすぎたからか、途中の湧き水を見過ごしてしまう。ちょっと水が足りなかったので、湧井の道路手前の水路で補給した。久々のロード区間でスマホを操作。気になっていたのは今後の天気だ。台風が関東に直撃する情報があり、その影響はどれくらいでるのだろう。雨は我慢しなきゃならないけど、仏ケ峰あたりの稜線でくらうのはちょっと面白くない。

富倉峠から先はダブルトラックの残る道が続く。自動車も通れる道だからさらにペースが上がる。昨年ここを通過したときもやたら早かった記憶があり、標準コースタイムがだいぶゆったりめに取られている区間なのかもしれない。桂池到着が9時50分。予定より1時半のアドバンテージ。せっかくだし冷たい太郎清水を頂こうと汲み始めると、アブやら蚊やらが大量に襲い掛かってくる。ザック背面の隙間から入り込み背中まで思いっきりかまれた。急いで虫よけ剤を塗りなおす。30%ディート(サラテクト)をかけた上から塗料成分で長時間持続がウリのヤマビルファイターをさらに塗る。虫たちがひるんだ隙に4Lほど水を取り急いで水場から離れた。しかし、そこから30分も歩かないうちに、再び蚊が集まってくる。結構汗はかいてしまっているから、薬がすぐ流れちゃっているのか。とにかく早く水場から離れ、標高を上げたい。

仏ケ峰の登山口を上ると、スキー場のゲレンデに出る。斜面で立ち止まり写真を少し取っているうちに、左足の膝裏の筋に不自然なハリと痛みが出るようになってしまった。若干支障はあるものの歩けないわけではなく、パワーウオークでゲレンデを上っていく。そこから先、小沢峠までは結構長く感じたものの、到着した時点で2時間以上のタイムアドバンテージが出来てしまっていた。こうなってくると、テントサイトに早く着きすぎてしまうのではないかと逆に不安になってくる。鍋倉山、黒倉山を続けて越えると関田峠までの下り道。昨年来たときもそう感じたのだが、この区間に生息する蚊にはディートが全く効かない。最大濃度30%のものをかけた直後にその場所を刺してくる。かなり速度を上げて歩いているのに、足や腕に襲い掛かってくる。特に茶屋池周辺では凶悪さを増し、これでもかというくらいたくさん刺された。結果関田峠時点のアドバンテージは3時間。当初18時頃到着する予定だった光ケ原高原キャンプサイトにも、15時に到着した。

トレイルからキャンプ場に降りるとちょうど管理の方がいて、サイトの使い方を教えてもらう。テントを張る前にまずはぐるっと高原を回る。眼下に広がる平原の景色はとても雄大で、駐車場にはバイク乗りの方がひっきりなしに訪れていた。Webサイトによると天気が良ければ能登半島も見えるとあったが、残念ながらこの日は曇り空。軽い散歩を終え、テントを設営した。

スマホの電波は弱く、Docomoの4Gは届かない。ぎりぎり3Gが拾えるかどうかというところ。そうすると、3Gが入らないahamo契約のスマホが使えず、代わりにMVNO(OCN)のセカンド機が役に立ってくれた。炊事場の水はろ過済で、すぐに使えるのがとても便利。rajikoをかけながら、だいぶ早めの晩御飯を頂いた。夜はカレー飯。朝はぶっこみ飯(カップヌードル飯)。このルーティンが旅のはじめから最後まで続いた。飽きは来るけれど、それでも疲れた体に温かいご飯はやっぱりおいしい。それに加えてお徳用の割れ菓子を腹いっぱい食べる。持ってきていたサラミも食べる。果汁グミも食べる。おなかがいっぱいになれば眠気がすぐ来てくれる。まだまだ空は明るかったけど、とにかく早く休もうと思っていた。翌日のコースがだいぶ不安だったからだ。

3日目は光ケ原高原をスタートし、牧峠、野々海峠、天水山、森宮野原駅を経て結東のかたくりの宿まで行く計画だ。トレイルのセクション5から8までの4区間を1日で歩き切る。さらにテントサイト予定のかたくりの宿ではチェックインが必要となる。となれば、遅くとも18時頃には到着せねばならない。が、朝4時スタートで0.8掛けで歩いたとしても到着は22時過ぎとなる見込み。ロード区間の時間を短縮し、トレイル区間もこれまでのように早く進んだとしても6時間以上の短縮は難しい。となれば、早く出発するほかない。本当の気持ちを言えば、2日目は牧峠か伏野峠まで進んで闇テントでも張ろうかとも思ったりもした。そうすれば3日目の道程がもっと楽になる。けれども。敬意をもってこの道を歩かせてもらっている以上、ルールを破るわけにはいかなかった。

8月13日 3日目(光ケ原高原~牧峠~野々海峠~天水山~森宮野原駅~結東)

ちょっと眠ってすぐ起きてを繰り返しながらも、それでも6時間程度横になっていたと思う。目覚ましをかけたわけでもないのに、深夜0時ちょうどにはっと目が覚めた。もうそろそろスタートすべきなんだろう。朝ごはんを食べ、深夜1時10分、光ケ原高原キャンプ場を後にした。水のろ過にかかる時間も惜しいので、出発時点で3~3.5L程度の水を背負った。ここまでで結構食糧を消費しているので、そこまで重いとは感じない。キャンプ場からトレイル本線までは20分ほどの上り道。ヘッテンで足元を照らしながら歩く。この日は満月で空は明るい。牧峠に向かう区間、トレイルに木々の幹がせり出していて、大型ザックに頻繁にぶつかる。足元は暗く、ところどころにぬかるみがあったりしてスピードが出せない。根本が大きく湾曲した木々は、関田峠以北の積雪が非常に多いことを意味している。7月終わりに行った高島トレイルでも、若狭湾を望む三重獄あたりの木々の曲がり具合はすごかった。冬の日本海から吹き込む風と水(雪)の凄さがここに表れているのだろう。

牧峠に到着。ここは展望が良く、昨年来た時はカメラ撮影の方がたくさんいたのだが、今回は峠に通行禁止の看板が立っていた。どこかで土砂崩れでもあったのかもしれない。駐車スペースのあたりからは夜の街並みが見える。ここでスマホにYAMAPの地図を入れなおした。夜は紙の地図だけではどうしても心もとない。万一に備えて有料プランに登録した。ここから宇津保峠。伏野峠に向かってアップダウンを繰り返す中で3日目の夜明けを迎えた。トレイルは穏やかな天気だった一方、遥か北方には黒い雲がかかり、雷だろうか雲が大きく連続で光る様が見られた。

伏野峠。ここにはトレイルエンジェル(ボランティア)が飲み水の500mlペットボトルを置いてくれている。昨年は牧峠で水を汲みそびれ危険な状態だったのをここで助けてもらった。今回は十分水を持っては来ていたものの、甘え心で一本頂く。美味い。美味すぎる。その場で1本飲み干し、須川峠に向かう険しい上り道を進む。昨年に比べるとアップダウンでの疲れ具合がだいぶ違っていて、今回は序盤の斑尾山を除けばほとんど苦しむことなく上りをクリアできている。この日に向けてさんざん滋賀のトレイルで鍛えた甲斐があったのかもしれない。途中、スポッという音とストックに違和感。石突のゴムが抜けてしまったようだ。しばらく探せど見つからず、泣く泣く諦めた。綺麗に整備された道を傷つけるのは心苦しく、そこから先はストック1本で進むことになった。

野々海峠の手前あたりから、トレランの人や団体ハイカーとすれ違うようになる。昨年はこのあたりでだいぶいっぱいいっぱいだったが、今回の目標は完全スルーハイク。野々海峠から深坂峠の区間もトレイルを進む。昨年はあきらめた長野県最北地点。何か説明文があると思っていたけれど、特に最北端であることに触れることなく信越トレイルのポールが立っているだけで、気づかずに通り過ぎるところだった。こういう時に公式地図を持っていると役に立ってくれる。深坂峠から先は、昨年まで信越トレイルのクライマックスとなる区間だ。気を引き締めてトレイルに入る。こっから天水山まで、標準コースタイムでは上りも下りも1時間45分。だからといってコースが平たんというわけではなく、むしろアップダウンをずっと繰り返すような道のり。切り立ったガケの上を歩くようなところもあり、若干ひやひやしながら先へと進む。

天水山の山頂はちょっとした広場のようになっている。立派なブナの木が一本立っていて、広がった枝葉の隙間から木漏れ日が差し込む。これこそまさに信越トレイルの粋だと思わせてくれる美しい場所だ。かつてのゴールであった「6-15」の標識の隣には、新たなセクションの始まりを意味する「7-1」の標識が立てられていた。到着したのは午前8時50分。当初の予定から見れば4時間ほど早いが、それでもまだまだ油断はできない。ほんの少しだけ感慨にふけってから、人里に下る道を進み始める。せっかく爽やかな気分で人里に下りたかったのに、道はそんなに優しくはない。ほとんど下りと思っていた道には結構な傾斜の上りがあり、そこを過ぎると始まるひたすら続く下り道。若干傾斜もきつめで足裏に負担が重なる。ブナの森の中を進む下り道から、斜面を降りる九十九折りの下り道。日差しは容赦なく体を突き刺す。1時間以上を経てようやく林道出合にたどり着いたとき、足裏の痛みは結構ひどく、いったんシューズと靴下を脱いで足を乾かすことにした。汗で白くふやけた足にはしわがいくつも入り、特に下りで力がかかった部分のしわは亀裂のように深くなっていた。マメ防止のワックスを塗っていてもこのシワの痛みはどうしようもない。もっと水はけのよい靴下はないものか。今後さがしてみたほうがよいと思った。20分ほど休んだか。シューズのインソールが乾いたあたりで再び出発の準備をする。まだ午前中ではあるけれど、この時点ですでに9時間歩いているわけで、ここで靴下を新しいものに履き替えた。これらのおかげか、足の痛みは少し和らいだ。

天水山のシンボル、ブナの巨木

出合から少し行くと水の流れる音。農業用水のため池があり、山の水をそこに集めているようだ。貯めますのようなところを見つけ、せっかくなのでちょっと服を洗わせてもらう。ついでに頭も突っ込んで洗う。どうせならもう一回シューズを脱いで飛び込みたい気持ちになったけど、ここは車も通れそうな林道。人目があるかもしれないと思いとどまった。少し行くと久々のコンクリロード。津南町ならではの河岸段丘が織り成す独自の風景が目に飛び込んでくる。水源となるため池が山頂にあるから、山の斜面に田んぼが並ぶ。田んぼに沿った道をひたすらさらに下っていき、建森田(たけもりた)神社を過ぎると人里に入る。ちなみにこの神社、諏訪社の流れを汲んでいるもので平安時代あたりからあったようだ。ここで若干ルートを読み間違え、神社前の細道を行くべきところ大通りに出てしまう。どうしても市街地区間の道はわかりづらい。トレイルではないのをいいことに、そのまま大通りでJR森宮野原駅に向かう。駅前の自動販売機で数日ぶりのジュース。美味い。少し行ったところには道の駅。ここではソフトクリームを頂く。美味い。この時点で午前11時で、ここからかたくりの宿までは18キロのコンクリの道。これなら十分間に合うだろうと安堵し、ここでようやくテントサイトの予約を取った。道の駅はお盆ということもあって結構人が多く、汚らしい恰好が恥ずかしかったので早々に立ち去った。ふと駐車場に、大きな火焔型縄文土器のモニュメントを見つけた。火焔型といえば北海道~東北にかけての縄文文化。一方で戸隠や八ヶ岳を越えた先の諏訪になると、井戸尻を中心とした水紋型土器の文化が広がっていた。ここには何か文化的な境界線があったのだろうか。なんて思いながら、先へと進む。目指したのは近くのファミマ。ちょうど40%増量キャンペーンをやっていて、一回り大きなおにぎりやパン、サンドイッチ、ファミチキ、RedBull(2本)なんかを買い漁る。ここまでの旅で思った以上に行動食を消費していたのでその補給だ。

お昼ご飯を食べ食べ進み、逆巻の交差点を過ぎると河岸段丘を上る九十九折に入る。これが結構な高さを一気に上る道で、さらに標高が低いことから暑くてかなりきつい。直前にだいぶ食べたこともあり、お腹もつらい。一段上ると田んぼと集落。少し歩いてさらにもう一段上る。すると目の前に段丘の平面上いっぱいに田んぼが広がった。上りきったときの感想は、「なんだこの暑さは!」ということ。この日の午後から関東に台風が上陸する予報が出ていて、実は雨とか降るんじゃないかと思っていたのに、ここは台風一過の晴天のような日差しと暑さ。直前に大量補給したはずの水が滝のように流れ出て、足取りが重くなっていくのがはっきりわかる。まるで格闘ゲームでコンボをくらっているかのように、ライフゲージがぐんぐん急激に減っていくような感じがした。何かできないかとポンチョをかぶってみるとなかなか効果的。日差しは生地で遮り、風が吹くと捲し上げて中の熱を排出する。なかなか使えるぜ、ポンチョ。

今回の旅、途中雨の可能性を考えていながらも、あえてセパレート系レインウエアは持ってきていない。シューズがスポルティーバのKaracalでそもそも非防水。雨具パンツを持っていたとしても結局シューズの中に雨水が流れ込むだけだから意味がない。雨具ジャケットは着るときにいちいち重いザックを下ろさなきゃならないし、この時期はどうしても暑いし蒸れる。樹林帯中心の信越トレイルであれば、ポンチョで十分だと判断したのだ。苗場山山頂付近はちょっとリスクがあるかもしれないけど、その程度の区間なら濡れるの覚悟で突っ込んですぐ下山すればいいだけだ。

ポンチョの遮熱効果に加えて時たま太陽が雲に隠れたりして日差しが緩んだ隙に中子ダムまで抜ける。この時点で6時間近くのアドバンテージ。ようやくちょっと余裕が出てきて、ダムの土手を上がったところでしばらく休憩した。シューズを脱いでインソールを取り出し、靴下と一緒に乾かす。水たまりに足を突っ込んだわけでもないのにべちゃべちゃなのは、それだけ汗が出たということ。白くしわしわになった足裏をマッサージし、手遅れかもしれないけれどマメ防止クリームを塗りなおす。本日のお宿まで残り10キロ少々。元気がよければ2時間で走っていける距離だが、すでにそんな余裕はない。まだお昼過ぎの13時とはいえ、この日はすでに12時間も行動しているのだ。

30分ほど休憩をとって中子ダムを後にした。そこからすぐの集落で自販機を見つけ、炭酸飲料を1缶その場で補給。アクエリアススパークリングはこういう暑いときにめっちゃ美味い。ついでに500mlペットボトルで麦茶を1本購入した。この判断が正解で、その後水場らしい水場はゴールまでほぼ無し。光ケ原高原から背負っていた水もちょうどこの先少しいったあたりで切れてしまい、ここで購入した1本でなんとか生き抜いた感じだ。

妙法育成牧場へと続く上り坂の見どころは放牧された牛さん達なのだが、、この日はお盆だからかどこにもいない。ただひたすらにコンクリの上り道を進むだけの苦行になってしまった。牧場事務所を過ぎたあたりからスマホの電波もとぎれとぎれになり、そもそもバッテリーがだいぶ減ってしまっていて使うに使えない。ソーラーパネル付きのモバイルバッテリーを持ってきてはいたけれど、樹林帯中心のコース&暑いときはポンチョをかぶってしまうため、あまり充電もできていなかった。峠道を上るだけ上って、あずき地蔵から一気に下る。凄まじい等高線の狭さの中を歩くことになるが、九十九折の道がしっかりあってかなり歩きやすい。ただしその分、永遠にも思えるような長さを感じる。下りはどうしても足裏に痛みが出てしまい苦戦したものの、ついに16時半、かたくりの宿に到着した。当初予定よりちょうど6時間早く、無事チェックインも済ませることができて心からほっとした。

かたくりの宿はもともと小学校として使われていた建物を廃校後に改装した宿だ。小さな芝生のグラウンドが正面にあり、そこがテントサイトとして開放されている。テントサイトには私以外に2,3組のテントが張られていたものの、どれもキャンパー向けのものでハイカーは私だけのようだ。宿のご主人と少し話したところ、信越トレイルのハイカーはそれほど多く来ていないそう。それよりちょうどこの時期は芸術祭をやっているようで、その来訪者が多いということだった。この宿は別料金を払えば浴場も使わせてもらえた。お風呂は校長室だったところにある。かなりぬるめのお湯はゆっくり浸かるにはちょうど良く、私が入った17時頃は貸し切り状態。人目がないのをいいことに、下着とシャツを洗濯する。押し洗いすると水がどんどん黒くなっていき、どれだけ汚れていたのかびっくりする。2、3回繰り返し、幾分か水の色がマシになったあたりで水を絞り、そのまま着衣。フォッサマグナの旅でも実感したことではあるが、finetrackのドライレイヤーは着ているうちに勝手に乾いてくれる優れもの。加えてシャツは同じくfinetrackのドラウトゼファー。ナイロン糸でもともとしなやかなシルエットだから、多少濡れていてもそんなに違和感を感じない。これもまた来ているうちに勝手に乾く便利な代物だ。

お風呂を十分堪能した後テントに戻る。テントサイトではキャンパーがバーベキューなんか始めていて、香ばしい肉の匂いが漂っている。この野郎、こっちは相変わらずのカレー飯だぜ。そう思って荷物の整理をしていたところ、一人の男性が声をかけてくれた。地元の方でこの地区の地域創生事業をされているそう。少し話しただけでとてもウマが合うように感じてしまい、いろんな話をしてしまった。これまでの様々な旅の話、アウトドア向け生地の話。信越と井戸尻それぞれで栄えた縄文文化の違いの話など話題は尽きなくて、日が暮れてお互いの顔が見えなくなるまでずっと話し続けた。この旅で初めて交わした会話。その間アブにそこら中刺されてしまったけど、本当に楽しかった。彼の名刺はもらったから、近いうちに旅の結末を伝えたいと思っている。

19時ごろだったか、食事をとるためにお湯を沸かしている間に雨が降り始めた。雨量は結構多かったものの風はそんなに強くはなく、予報によると未明には降りやむとのこと。せっかくだからフライシートのペグをちゃんと打って、インナーに張り付かないよう整える。当たり前のことだろうけど、ツエルト生活が長かった私にとってはインナーの密閉空間だけでも十分快適で、テントであんまり細かい調整をするのは面倒くさいと思ってしまう。柔らかな芝生は温かく、マットもシュラフも必要なかった。すでに行動開始から17時間が経過。満腹感もあってすぐ就寝した。

8月14日 4日目(結東~見倉~大赤沢~小赤沢~苗場山~JR越後湯沢駅)

深夜1時ごろに目が覚めて、少しの間施設の電気をお借りして各種電子機器を充電した。今回の旅はミラーレス一眼を持ってきていて、かなり綺麗な写真が撮れることを期待していたものの、電池があまり長持ちしてくれなくて、2日目終盤で電池切れ。撮影ポイントの天水山や河岸段丘の写真はスマホで撮らざるを得なかった。翌日は最終日。ここで一眼カメラの力が発揮できなければ、500グラムの重量をわざわざ運んできた意味がない。今回の旅は電波が届きづらい場所が多かったこともありあまりラジオや音楽を聴いていないものの、バッテリーの消費は思いの外激しかった。あとで調べたところ、圏外が多いところはスマホが一生懸命電波を探してしまい、その分バッテリーを消耗してしまうそうだ。念のためYAMAPを入れていない2台目の電源は切っておいた。

テントの中は若干暑く感じ、隙間を少し開けておいたら蚊がたくさん入ってきて、そこら中の血を吸われた。結局ツエルトの時とおんなじだ。もっとうまいこと使い方を考えなきゃな、なんて思いながら午前3時。前日同様早めに出発しようと朝食を取る。用意していたインスタント飯はこれですべて使い切り、持ってきていたコーヒーもここですべて飲み切った。これでバーナーの役目は終了だ。水は2L分を背負う。この先は結構水場が多く、あまり多くは必要なさそうだ。テントの撤収を始めたところ、近くのキャンパーが1人起きてきて私に声をかけてくれた。彼は友人とカブトムシを採りに来たそうで、私がここまで100キロ近い距離を歩いてきたことにかなり驚いていた。そうだね、変人の類といわれても仕方ない。陽気で爽やかな彼から応援を頂き、朝4時ちょうど、意気揚々と歩き始めた。

深夜の市街地ということもあり、YAMAPのルート案内を頼りに進む。が、1キロ近く歩いたところで違和感。河岸段丘の傾斜を上るはずなのにずっと国道を案内している。結局向かう先は同じだからか、YAMAPは歩きやすい道を案内していたようだ。スマホ地図は確かに便利だけど、公式地図では無い以上こういうことがあって信頼しきれない。先ほどかっこよく旅立った手前、スタート地点に戻るのはかなり気恥ずかしく、宿の近くでライトを消してこっそり道を修正した。映画の撮影スポットになったこともあるというつり橋は夜明け前で暗く、写真撮影は難しい。その先は段丘を上る九十九折。これまで何度も歩いてきてだいぶ慣れてきた。上り切ったところが見倉の集落。今回の旅ではそこら中で古い石垣を見てきたけれど、ここのものは溶岩性のざらつきの多いものだったのがちょっと印象的だった。少しロードを歩いてトレイルに入る。虫よけを全身に塗りたくるのを忘れない。見倉には風穴という天然のクーラーがあり、そのことを知らずに前を通ったときはかなりビックリしてしまった。想像以上に冷たい風。涼しいではなく、冷たい。風は絶え間なく噴き出し続けていて、逆に吸気は別の穴からやっているんだろうかと不思議に思う。

少し進むと見倉トンネル。ここを避けるように古道のトレイルが伸びている。崩れやすく滑落に注意と公式ガイドにはあるが、そこまで怖がる必要はない。天水山に向かうトレイルのような断崖ではないので、たとえ万一落ちたとしても死にそうな感じはしない。トンネル西側の斜面に続くトレイルを進んでいくとコンクリの道に出る。さらに少し進むとトンネル出口に合流。ここから先は車も通る道がしばらく続く。渓谷に沿った道は紅葉の季節にもなればさぞ綺麗なのだろう。途中には「ビュースポット」の案内も見られた。大赤沢の集落。ここにも自動販売機はあったものの華麗にスルー。前日かたくりの宿で何本もジュースを飲んでいたので、しばらく我慢できそうだった。

硫黄川を渡る橋を越えて長野県入り。信越トレイルはその名の通り新潟と長野の境界線を歩く道。いつの間にか越境を繰り返していて、自分がいまどっちの県にいるのか分からなくなってくる。橋を過ぎ少しいったあたりで、甘酒集落跡に続く古道に入る。江戸後期、越後出身の紀行文筆家 鈴木牧之(まきの)が歩いた道で、現在は「牧之の道」と呼ばれているトレイルだ。序盤から結構な傾斜が続き、よくもまぁこんな奥に集落なんか作ったものだと思ってしまった。牧之が甘酒集落を訪れた際すでに2軒しか残っておらず、その後天保の飢饉で村人が絶えてしまったのだという。新潟県津南町と長野県栄村にまたがる中津川上流域に点在する集落を「秋山郷」という。山深く積雪の多い秋山郷の生活は厳しく、甘酒以外にもその対岸にあった秋山村なども飢饉に襲われて営みが絶えている。飢饉から秋山郷を救った佐藤佐平治。そういえば野々海峠の湿地開発も、安定した水の確保のために行われた事業だった。生きるということのリアルが詰まった地域。これまでは厳しい岐阜に対して鷹揚な長野といったイメージを持っていたけれど、生きるってのはそんなに簡単なことじゃない。

上り道も終わりが見えてきて、あとちょっとというところで車の排気音が聞こえた。なんだ、ちゃんと道通ってるじゃん。。。と、この時はちょっとガッカリした気持ちで甘酒集落跡の供養塔に出た。私が到着したタイミングでそこにいた軽トラはどこかに行ってしまった。彼(もしくは彼女?)はこんなところに何をしに来ていたのだろう? そう思って供養塔を見ると、目に留まったのは色鮮やかなミニトマト。いくつか並ぶ碑のそれぞれに小さなトマトが1つずつ供えられていた。供養塔にはお赤飯。ほのかにお線香も漂っている。そういえばお盆だった。なんというか、柔らかい気持ちが心の中に溢れかえった。もしかしてこのお供えをしていった人は私の気配を感じたから急いで帰ってしまったのかもしれないな。そう思えてしまった。本音というのは表に出すのが恥ずかしい。だからこそ人知れず行われる行為にはその人となりが現れる。秋山郷。この地を知ったのは今回の旅が初めてなのだけど、これが秋山郷なのだと私は思った。それは素朴でありながら美しく、守るべき価値であり、この地に根付いた優しさだった。これを知るために私はここまで歩いてきたんだろう。そう思えてしまった。

それからまだしばらく牧之の道は続く。前日の雨で若干ぬかるんでいたが、なんとか足を濡らさずに歩く。旅も4日目になるとだいぶザックが軽くなっているはずなのに、背負っている分にはその差をほとんど感じることはない。ザックの性能が良いためか、一定の重量以上になるとあんまり差が感じられなくなってしまう。楽になっている感がないというのは若干つまらない。苗場神社の境内を通り、牧之の道の終点が秋山郷総合センター「とねんぼ」。市役所の分所や郵便局、観光案内所なども集まった施設だ。到着したのが午前7時15分。残念ながら施設は全て閉まっていた。自動販売機を見ていると、栄村トマトジュースなるものが。このあたりの名産品がトマトのようだ。だから甘酒集落跡にもトマトが供えられていたのか。1缶頂く。美味い。炭酸系もいいけれど、たまに飲む果物や野菜ジュースもビタミンとかが染み渡る感じがして良い。おしゃれな木造建屋の外観を写真撮影し、ここから先、最後の難関に挑む。苗場山だ。

川沿いのアプローチを歩いていると、たまに車とすれ違う。彼らも登山者なのだろう。そういえばこの関田山脈の区間ではほとんど人とすれ違うことはなかった。序盤、大明神岳山頂のグループを除けば、3日間で合計10人程度だったろうか。夏山シーズン真っ盛りのお盆はやっぱり高い山に行きたいよね。一合目を過ぎて少し進むと、コンクリの道を離れてトレイルに入る。ところどころにきつめの傾斜がちょびっとあるもののそれ以外はとても歩きやすい道。何よりそこら中に水が流れていて、給水に苦労しない。そういえば、昨日話した方との話題でも、秋山郷には湧き水がとても多いことが言われていた。河岸段丘で削られなかった固い地面。溶岩性の多孔石が多く混じっていれば、水は流れやすいだろう。そういえば見倉の里の石垣は火山性のじゃりじゃり感のある石でできていたな。そんなことを想像しながら先へと進む。二合目を過ぎると渡河箇所が表れる。二本の橋のうち一本が川に落ちていた。もう一本が安全という保障はない。慎重に歩く。

スタートから3日間かけて歩いた関田山脈と苗場山は中津川を挟んで隔てられていることもあるが、やっぱり何かが違うなという感じがしていた。関田山脈はキノコが多くて緩やかな(ちょくちょく傾斜はきついところももちろんあるが)おっとりした長野っぽい山という雰囲気に対し、苗場は白山に結構似ているような気がした。三合目の駐車場に出ると、10台近くの乗用車が止まっていた。昨日コンビニで買ったカレーパンを食べて気合を入れる。上りやすい道をガシガシ進む。途中に下りの人と幾度かすれ違う。後ろから女性の声がちらほら聞こえるようになった。ちらりと振り返ったところ、トレラン風ガール2名が私の後ろを追っていた。荷物サイズでだいぶ不利ではあるけれど、追い抜かれるわけにはいかない。こちらも少しペースを上げた。

5合目から先は鎖場が始まる。鎖場といっても劔岳のような恐怖感はほとんどなく、白山の平瀬道にあるような初心者向けなんちゃって版みたいなレベル。鎖をつかんでる時間のほうがもったいないから力ずくでよじ登る。鎖は何ヵ所もあったけれど、結局本当に鎖に頼る必要があったのは1つだけで、いつの間にか結構成長したんだな、自分。。。みたいな感慨にちょっとふけった。ここのペースが速かったからか、いつの間にかトレランガールの気配は無くなった。

上りをあらかた終えると視界に湿地帯が広がる。二本の木道が伸びていて、ところどころに咲いた花が風に吹かれて揺れている。苗場山の八合目。旅の終わりを感じ始める。かたくりの宿で十分充電したα5000の本領はここで発揮せねばならない。ストックをたたみ、いろんな写真を撮っていく。花や景色、木道。ちょうど実家から安否確認のメールが入った。どうも北陸は大雨のようだが、こちらは全くそんな気配はなく、時おり爽やかな風が吹き抜けるだけ。「大丈夫」と一言返し、山頂に向かった。終わりが近づくのが少し寂しかった。20分ほど歩いたところ、弧を書くように伸びた木道の先に、小さな標識が見えた。いくつかの道の分岐や、ちょっとした木製の休憩所もある。きっとあれが山頂だ。百名山にも数えられる苗場山の山頂にしてはだいぶ寂しい。けど、旅の終わりにはそれくらいの感じがちょうどいい。標識に「苗場山山頂」の文字を確認し、10時55分、長かった信越トレイル区間が終わった。広場にザックを放り出し、少しの間旅の感慨にふけっていた。ザックについていたトレイルタグが風に吹かれてはためく。そうだ、こいつと山頂標識で写真を撮ろう。誰もいないのをいいことに、シーン設営をしっかり行って、ボケ具合なんかもちゃんと調整しながら最良の一枚を撮影する。

そうこうしているうちに、トレランガール2人組も追いついてきた。インスタ映えな写真撮影なんかを始めるんだろう。なんて思いながら座っていると、案外あっさり標識を通過。分岐の先へと進んでいってしまう。軽量装備なのにピストンじゃないのか? そもそも山頂はそう簡単にスルーするものなのか? よくよく考えていると、苗場山の山頂にはヒュッテ(小屋)があるはずじゃないか。となると、ここは何処だ? 改めて標識をよく見ると、「苗場山山頂」の文字の上に矢印のマークが。。。しまった、、、ここ山頂ぢゃない。。。若干の気まずさを胸に、それでもあと少し旅が続く喜びをかみしめながら、再びザックを背負った。フェイクの標識を過ぎて15分ほど。多くの人が見え始める。ここまで歩いてきた小赤沢ルートはいわばバリエーションルート。公式ガイドによれば岩場の続く上級者向け。メーンは祓川ルートで、そこから来た人と合流したようだ。湿原を見渡す広場は、さっき休憩していた場所とは比べようもなく綺麗でベンチまであった。ヒュッテの屋根が見えてきて、そこから1分ほど歩くと、正真正銘の山頂の標識。ちゃんと信越トレイルの標識も付いていた。2022年8月14日 11時10分。改めて、そして正式に信越トレイルのゴールだ! 

お弁当を食べているグループなどを横目に、さっき撮影したような山頂標識とトレイルタグの写真を撮ろうとして、こちらの標識は高さがあって取りづらく、結局さっき撮ったやつのほうが見た目いいんじゃないかと思ったり。前日森宮野のファミマで買ったツナマヨパンを食べて。先ほどの立派な広場で雄大な湿原の景色を堪能し、いっぱい写真を撮って。少しばかり休んでから、ここまで持ってきたRedBullをぐっと飲み、最後の最後。トレイルの終わりから旅の終わりをつなぐ道を歩き始めた。私の旅はここで終わりではない。JRで来たからにはJRまで帰る。越後湯沢駅が今回の旅の最終ゴールだ。

下りに使うのは祓川ルート。実は前日、このルートも話題に上がっていて、「一般ルートだけど神楽ケ峰のあたりの稜線は痩せている」というアドバイスをもらっていた。それはちょっと嫌だなと思い、ネットで改めてコースを確認したところ、「標高1370mの登山口の和田小屋から山頂までの祓川コースでは、一貫して難所はありません。 登山初心者向けの日帰りコースとして最も多くの登山者が入山する人気のコースとなっています。」とのこと。まぁ大丈夫だろうと思い下り始めたところ、意外に下りの傾斜がきつい。というより怖い。普段使う30Lのザックならまだしも、大型ザックを背負っていると背面をこすってバランスを崩してしまいそうで、ポンポン下ることができない。初めて別山~南流までの大屏風を越えたときのようなヒヤヒヤ感を味わいながら、手も使いながらゆっくり安全に下る。下り切ったら神楽ケ峰までの上り返し。ここに関しては特に問題なく力押しで一気に行く。まだ足は残っている。そこから先は室堂から弥陀ヶ原の区間のような大きな石がゴロゴロした道。しっかりした石なのでその上をポンポン進んでいく。結構得意な感じ。下之芝を過ぎたあたりから地面が水っぽくなってくる。雨が降った2日後の観光新道みたいな感じ。例えが白山登山道ばっかりなのはご愛敬。ここが結構曲者で、せっかくのスピードが一気に殺されてしまった。その上この濡れ岩区間がかなり長い。あとちょっとのはずなのにいつまでたってもゴールが見えてこないのもまた観光新道にそっくりだ。

ようやく登山口となる和田小屋に着いたのは15時ごろ。足裏の痛みが限界に来ていて、ここで30分ほど休憩した。シューズを脱いでインソールを出し、靴下も脱いで足をザックに乗っけて乾かす。ここから先はコンクリロードだから、もう足を濡らすことはないだろう。持ってきていた交換用靴下の最後のストックを履きなおす。乾かしている間は暇だったので、ついでにテントのフライシートも広げて乾かす。前日の雨でびちゃびちゃになったままザックに詰め込んでいたために、滴り落ちた水がザック内のいろんなものを濡らしていた。

実際のところ、トレイル最後のこの地点を今回の旅の最終地点と言ったほうがいい。30分ほどベンチに座って四日間の旅の余韻に浸った。足の痛みが強いほど、旅の思い出も強く刻まれているような気がした。信越トレイルの地図を買ったのは2年前。その後1年間は特もすることはなく、昨年初めて野々海までの道を歩いた。思い返せば故加藤則芳さんとの出会いはもっともっと前で、私が埼玉に住んでいたころだった。お金がない中でそれでも旅の感覚を味わいたくて紀行文を読み漁っていたころ。『メインの森をめざして』という分厚い本を浦和図書館で手に取り、勉強の合間に少しずつ読み進めていった。中盤から後半にかけての記憶はない。当時はまだそこまで山やロングトレイルといったものに興味を持っていなかったからかもしれない。それでも惰性で最後まで読み進め、あとがきで加藤さんのALS発症が明らかにされたとき、とんでもない寒気を感じた。凄まじい喪失感だった。その後ネットで検索して、すでに彼がいないことを知った。あれから5年以上が過ぎて、職場が埼玉から今の会社に変わり、ランニングから派生して登山を楽しむようになり。石川県からアプローチが容易な高島トレイルを踏破したのが2年前。ここも加藤さんが関わった道だ。私はいつの頃からか、知らず知らずのうちに彼のトレースを追っていたことに気付いた。信越トレイルが私にとって身近な存在になりつつあった。『メインの森をめざして』を買い直して再読した。そこには信越トレイルの誕生の瞬間が書かれていた。AT(アパラチアン・トレイル)以上に信越トレイルへの憧れが強くなった。昨年10月に110キロの延伸が決まったとき、一刻も早くこの道を歩きたいと思った。トレイル踏破のワッペンをザックに貼り付けたい。それはULが主流の今は流行らないことなのかもしれない。1グラムでも軽く、の精神に反することだろう。それでも私はこのワッペンを張り付けることで、結局一度も会うことが出来なかった加藤さんの面影を感じることができるような気がしていた。

その後越後湯沢までの道については、取り立てて綺麗な言葉を並べて語るようなことはない。ひたすら続く林道の下り道。すでに閉まった道の駅。歩行者に優しくない国道。峠を越える長い長い迂回路。近づいても見えてこない越後湯沢駅。結局タイムスケジュールが予定より遅れたのはここの区間だけで、3時間で到着できると思った越後湯沢駅に5時間もかかってしまったこと。新幹線はお盆ながら空いていて、スムーズに帰ることができた。蛇足になるけれど、これもまた忘れたくない思い出ではあるから、ここにちょびっと書いておく。

そして最後に、加藤さんが生前語っていた夢の話。

信越トレイルへの私の思いはさらに続きます。関田山脈から東西に距離を延ばすことです。東は秋山郷から苗場山、白砂山へ、西は笹ヶ原高原を通って雨飾山から白馬岳までと、信越国境すべてを貫く壮大な「信越トレイル」を夢見ているんですよ。

信越トレイル・ストーリーズ(https://www.s-trail.net/stories/)

夢はまだ終わっていない。

© 2024 HeartBreak One Run

テーマの著者 Anders Norén