HeartBreak One Run

走る。登る。回す。紡ぐ。

山陽道(西国街道)

■ 日程:2022年12月29日~2023年1月5日
■ 区間:大阪~西明石~赤穂~倉敷~糸埼~広島~徳山~長府~門司
■総距離:556.2㎞

■旅を始める前

新しい旅に出たい。お盆に信越トレイル、富士山ルート3776往復を経て、その後はレース三昧の充実した日が続いた。久々のレースには気づかされることも多く(特にVO2MAXの重要性)それはそれで楽しかったけれど、一方で私はもっと強い刺激を求めていた。今の環境、現状から解き放たれたいと思っていた。なんかいろいろ疲れていた。

もともと1月の頃は熊野詣リベンジを考えていたが、トレイルメーンのコースで行くなら春以降のほうが楽しそうだし、その後やり残した四国一周残り半分に思いを馳せるようになったけど、これも冬野宿で500キロは相当きついと思い直した。いつものようにトイレに貼ってある立体日本地図を眺めているうちに、大阪から西に向かうルートが気になり始めていた。山陽道。国道2号線。西国街道。関門海峡を渡り門司に至る約520キロ。東海道ともニアリーな距離は丸一週間の休みを満喫するのにぴったりな規模感だ。それに大阪より西の世界はこれまでほとんど行ったことのない地域。新しい世界への挑戦、なんて面白そうなんだ!

10月ごろから計画を練り始めた。とにかく土地勘が全くないから町の名前を見てもイメージがわかないし、そもそも漢字が読めない。道程表にはたくさんルビを振った。そもそもこの町は何県? 大阪と兵庫の境目、兵庫と岡山の境目、岡山と広島、広島と山口・・・全部わからないし、なんなら岡山と広島の位置関係がピンと来ていない。東海道の旅と違ってこれには本当に難儀して、道程表作りには相当な時間がかかった。

せっかくだからちょっと観光もしたい。が、どうやら記紀由来の神社はそれほど多くない感じだ。縄文時代の遺跡もぱっと見当たらない。その代わり、中世以降のお城はたくさん見られるようだ。学生時代に「信長の野望」をやりこんでいたので武将の名前はおおむね分かるし、何かつながるところがあればいいなとか思った。とりあえず、姫路城と厳島神社は絶対に見たいと思い、この二カ所には観光のための時間も別途設けた。道程表はことあるごとに繰り返し繰り返し見直して、友人や取引先からのアドバイス(主に観光と食事)も書き加えて完成した。

旅の計画と並行して、500キロに耐える体を作らねばならない。東海道の年はまだ天気が良く、12月の月間走行距離が400キロとか走りこめていたのだけど、今年は寒くてちょっと外を走れそうにない。その代わりに数年ぶりにスポーツジムに通い始め、調子に乗ってトレッドミルをガンガン蹴りつけていたところ、右足にシン・スプリントを発症したのが12月半ば。最低2週間の安静が必要になってしまった。

とにかく回復しなければ旅を始められないから、フォッサマグナ旅でもお世話になったOMRONの電気マッサージ機に頼る。ペインコントロール機能も好きだが、本機のウリはマイクロカレント電流であることを後にネットを見て知る。とにかく足に電気を流しまくる。併せて湿布も贅沢に毎日使う。とどめに筋膜リリース機の安いのを1台購入したけれど、刺激が強すぎてシンスプリント対策には使えなかった。入念なリカバリー処置を繰り返し、クリスマスには痛みはほぼ治まったものの、痛みの芯はまだ残っているような感じ。この間もジムには通っていて、すねが痛いならバイクに乗って、HIITプログラムをこなしていたら今度は膝関節に若干の痛みが出始めたのですぐ辞めて、筋トレ中心に切り替えた。体力を落とさずにリハビリするのってホント難しい。仕事のほうも、監査だったりシステムトラブルだったり大雪対応だったり諸々忙しくて結果大風邪をこじらせ、旅出発前日にヘルペス発症。かなりボロボロになりながらも、それでも予定した通りに旅を始めることになった。

■1日目:12月29日(大阪~西明石:63.36km)

始発の特急電車は小松のあたりではそれほど混んではいなかったけれど、敦賀で多くの人が乗り込んできた。その多くは京都で下車し、新大阪を経て大阪駅。迷宮と言われながらも意外とすんなり外に出られた。これまで大阪というのは怖いところで近寄っちゃならないとばかり思い込んでいたけれど、2022年に2度も走ったことがある中で若干慣れつつある。人と話すのはやっぱ怖いけど。。。2年前に歩いた東京~京都間の旧東海道。旧東海道を継承して今の国道1号線が敷かれたけど、その終点は京都三条大橋ではなくさらにその先大阪まで繋がる。大阪を走った理由は京都三条大橋から大阪までの線をつなぐため。国道1号線区間の始点と終点を踏むのが目的だった。今回の「山陽道」の旅はどちらかと言えば江戸期の呼称である「西国街道」と呼んだほうが一般的かもしれないが、現代の人に言わせれば「国道2号線」の旅のほうがしっくりくるかもしれない。国道1号線の終点と国道2号線の始点は接しており、その交差点に道路元標があることを馴染みの床屋のお兄さんから聞いていた。であればこの元標が旅の出発点にふさわしいのではないか。駅から5分ほど歩くと大阪らしい派手な金色のモニュメントが表れた。東京日本橋で見た青銅の重々しい元標とは大きな違いだ。きっとこれが県民性なんだろうと思いながら。2022年12月29日、午前8時37分。ようい、どん。太平洋側らしい快晴の空の下、長い旅が始まった。

初日の目標は大阪から西明石。スタート時間がちょっと遅いことと様子見のため、予定していた走行距離は57キロと控えめだ。初めから最後までずっと市街地。かつ、国道2号線をそのまんま辿るだけでいいのでルート探索もほとんど必要ない楽な道のりだ。まず気にしていたのは右足すねの状態。ここ1週間の間トレッドミルも控えていて、コンクリを走るなどもってのほかという状態。悪化したら相当やばいということで、右足を予めテーピングでぐるぐる巻きにし、さらにその上から着圧カーフサポート付きのソックスで押さえつける。これらが奏功したのか、若干の違和感はあるものの痛みが大きくなっていく様子はない。だいぶ安静に走ったつもりだったけれど、タイムを見るとキロ6分台。トレッドミルのスピード練習で心肺機能が強化されたに違いない。それに調子に乗ったからこそのシンスプリントではあるのだが、このあたりの調整はほんと難しい。

淀川を越えて少し進むとすぐに兵庫県尼崎市。市名の標識のど真ん前に速度制限の標識柱が被っている。もう少し間をとってもいいのに、このあたりのいやらしさも大阪らしいところだなぁと思いながら走る(偏見?)。尼崎に入ってすぐに熊野神社を見つける。ちょっと寄ってみると立てられた旗が熊野速玉大社で見たものとそっくりだった。懐かしさと嬉しさでお賽銭も弾んだ。ランニングの調子は思いの外悪くはなく、予定よりだいぶ前倒しで進めていた。朝4時頃に朝を食べたきりだったので、10時ごろにちょっと早めのお昼ご飯。松屋の牛丼大盛。美味い。ここ数年、松屋(松のや含む)はマイブームだ。いろんなソースがあるのが楽しいのだ、というのも1つ。お米の味が良いというのも大きなポイントだ。

せっかくだから西宮ではえびす神社にお参りしよう。年明けの福男選びを昔テレビで見て知っている。少しコースから外れてしまうけれど、初日の余裕からか足を運んでみる。御祭神は蛭子(えびす)さんだが、「ヒルコ」がどうして福の神扱いなのかよく分からない。まぁ陽気な関西だしそんなもんなんだろう(適当)。本殿にお参りし、箱札なるものを1つ頂きお土産に。さぁ帰ろうと正門に向かいふと地図を見てみると、本殿以外にもいくつかのお宮がある。大国主に加えて我らが白山姫こと菊理媛尊(くくりひめのみこと)も祀られているようだ。これは是非お伺いしなければ、と引き返す。ちなみに神社としては白山比咩神社ではなく六甲山神社だそうだ。そのほかにもついでに見て回っていると、市杵島神(いちきしまのかみ)のお宮も。4日後に行く予定の厳島神社由来の神様だ。また会おうぜと固く誓いを(勝手に)交わした。

いったん離れた国道2号線に戻るのが面倒だったので、阪神高速下の道をたどることにした。この道が旧西国浜街道と呼ばれていたことを道中の標識で知った。京都と九州地方を結ぶ江戸期以前からの街道だ。こういう何気ない情報が意外と面白くて、つい立ち止まってちゃんと読んでしまう。すると結構時間が押してしまうわけで、とりあえず興味がわいたら写真撮影しておき、後で読み返せるようにしておくことにした。地理に紐づくこういうちょっとした情報はインターネットでは意外と辿りづらいものだ。

しばらく進むと2号線に復帰。その先は大都会神戸の三ノ宮だ。3年ぶりに自粛要請無しの年末、駅前から先はとても人通りが多くて、走ることはちょっと難しい。せっかくだから外国人居留地とかも見てみたいなんて思いながらも、結局メルクマールとなるような建物が何なのか調べておらず、レトロな大丸デパートの写真しか撮れなかった。人込みが激しかったのは中華街。真っ赤っかな街並みがとても鮮やかで写真映えする彩りではあったけれど、なにせ人が多すぎてちょっと近寄りづらい。入口のあたりで写真だけ撮って先へと進む。そういえばこのあたりで万能中華だし『味覇』のトラックをよく見かけた。お馴染みの赤色以外にも黄緑色なんかもあったりした。このあたりからTBSラジオ(赤江珠緒のたまむすび)を聞き始めた。Nack5でお馴染み土屋礼央さんがパートナーを務めていて話が面白い。こういう番組を見つけてしまうと時間が経つのがとても速くて、その分楽に前に進める。

祀られとる・・・

須磨海岸に出たのは15時40分ごろ。西宮神社周辺で思った以上に時間を食ってしまい、アドバンテージは20分に縮まっていた。工事中の水族館の横から海岸に出られる小径を見つけ、そこから先は海沿いを走った。徐々に日が沈み始めて黄色がかった空に少し肌寒い空気。潮の匂い。太平洋側の冬は素敵だ。旧和田岬灯台の前を通ってJR須磨駅を過ぎ、さらにその先に進んでいくと、海岸沿いの歩道がなくなった。砂浜を頑張って歩いたものの、その先は高い防波堤に阻まれて国道への復帰は難しそうだった。ちょっと悔しい思いをしながらも道を戻り、小さな踏切を渡って国道2号線に戻る。この日はもう一つ見たい景色があった。夕暮れの明石海峡大橋だ。なんとか17時前半に大橋のある舞子に着きたいと思い、けっこう真面目に走った。すでに旅の開始から40キロ以上も進めていて、右足の不安はほとんど無くなっていた。ふと海沿いのファミマの駐車場から綺麗な夕日と少し離れたところの大橋が見えた。最悪ここの写真でいいかなと思っていたら、案外すぐに橋のたもとにたどり着いた。

大橋のたもとは公園になっていて、一眼レフを持った愛好家らしい人々が結構多くいた。バスもあったので撮影ツアーなのかもしれないな。そんなことを思いながら、私なりに撮影スポットを探す。夕日はすでに沈んでしまっていて、それでもまだ残光がほのかに空と海との境界を朱に染めていた。橋の先は淡路島。1年と少し前に一周していて、ちょうど反対側の下を歩いた記憶がある。あの時見た大きな仏像はこの1年で取り壊されたと聞いていた。緑に光る観覧車が見える。あれは何だっけ? せっかくだからここでたくさん写真を撮った。今回の旅ではカメラをXperia AceⅡからPixel6aに新調した。そういえばAceⅡを初導入したのが淡路島一周の時だっけ。あの時はけっこう良いと思ったのだけど、その後使うにつれて画像の粗が目立つようになってきていた。以前のiPhoneSEもまだ手元にあったけど、ケーブルをType-Cに統一したくて下取りに出し、代わりにカメラ性能が評判の6aを購入した。6aはボケ具合なんかも結構ちゃんと出ていてなかなか面白い。夜景モードが6aの1つの特徴。確かに対象物をはっきり写せるけれど、色味はだいぶ変わってしまうことが分かった。撮影は暗くなるまで続けた。本日のゴールまで残り10キロ。時間には十分余裕がある。

ホテルに着いたのは18時40分。本当はもう少し早く着いていたけれど、コンビニを探してウロウロしていた。東海道の旅でのルーティンだったクエン酸補給用のオレンジジュースを購入。牛乳の代わりにプロテインドリンクを買うことにした。予約していた西明石リンカーンホテルは朝食のほか夕食もセットになっていて、ご飯とみそ汁食べ放題。料金の安さからあんまり期待していなかったけれど、疲れた体に温かいご飯は美味しい。実は到着前、保険として少しおかずを近くのスーパーで買っていたのだけど、これらを食べる余裕は残せなかった。部屋に戻って少し休んで大浴場。テーピングを湯舟につけるのが心苦しくて、さっと入ってさっと上がる。部屋がランドリーに近かったのでちゃちゃっと洗濯もしてしまう。なんやかんやで残った食べ物は全部消費し、眠りについた。

■2日目:12月30日(西明石~赤穂:71.5km)

今回の旅は東海道に比べて距離がちょっと長い。歩く(走る)スピードが大して変わってない以上、達成するためにはより多くの行動時間が必要になる。そこで予め立てた目標が「朝食開始から1時間以内にスタートする」ことだった。東海道の時は腹いっぱい朝食を食べて2時間近く横になってから行動を始めていたけれど、今回はそんなやり方じゃいけない。西明石の朝食はおかずがバイキングではない分食べ過ぎる心配は少なく、ご飯は大盛にすれどお代わりはせずに済ませた。ちょっとオトナになった気分だ。急ぎ部屋に戻って出発準備をするものの、テーピングの上から長い靴下を履くのは結構手間がかかり、こまごまとしたパッキングにも時間を取られる。結局スタートするのに朝食開始から45分かかってしまった。目標達成ではあるが、もっとうまいやり方があるはずだ。

7時15分にホテルを出発。足の調子は悪くなくてジョギング程度なら十分いける。今回初導入したのがbluetoothのワイヤレスイヤホン。連続14時間音楽再生可能がウリで、実際に初日はちゃんとそれぐらい持ってくれた。これは使えると喜んでいたものの、2日目使おうとするとバッテリーが充電できていない。ちゃんとホテルで充電したつもりだったし、そもそもケースに戻すと勝手に充電するタイプ。中国製はこれだから。。。なんて思いながら、どうせ道路沿いを走るだけだしイヤホン無しでラジオを流す。その中で読者投稿で「土塀」愛好家の話が出てきた。何気なく聞いていると、日本三大土塀の1つが昨日参拝した西宮神社だという。さすがにそんなの意識はしてなかったなぁと思いつつ、タイムリーな話題が結構うれしい。出発前にこじらせた風邪の影響か、喉のガラガラ感は相当なもので、途中のドラッグストアで龍角散飴を購入。加古川を過ぎたあたりで、「高砂市阿弥陀町阿弥陀」なる書くのが非常に面倒くさいであろう住所を見つけた。ずっと市街地を走るばっかりだったので、面白いことといえば正直これぐらいしかなかった。途中、ダイソーを見つけて300円のワイヤ付きイヤホンを購入。耳へのフィット感良し、音質も問題なし。今後有線を買うならこれで十分かもしれない。

姫路市に入ると御着城登場。少し先にそびえる姫路城と比べてしまうとチンケなものではあるが、城の形をした公民館というのはなかなかシュールで面白い。黒田官兵衛に所縁があるようだが、まぁだからといってどう言えばいいのか。そのほかモニュメントの可愛らしいパン屋さんだったり、お仕事の取引先だったり(いつもお世話になっております)、天神さん系の神社(九所御霊天神社)だったり。前座がいくつも表れては消え表れては消え、そんな中でも想いは早く姫路城を見たいということだった。目的の城に到着したのは11時半を過ぎたころ。目前の白鷺(しろさぎ)が「白すぎる」と言われていたのは数年前のことで、2022年末に見る限りは普通の城の色合いとそんなに大きく変わるわけじゃなかったけれど、その敷地の広さはなかなかのものだった。天守閣の石垣が高すぎて、近づいてしまうと城が小さくなってしまう。上手い撮影スポットを見つけられないまま順路に沿って場内を出てしまい、結局外から撮ったほうがいいなという結論になった。城を出た時点で12時半。当初予定より1時間半の大きなアドバンテージで結構余裕があった。

ちょうどお昼時。時間に余裕がある上姫路のど真ん中で食べ物には困らない。にも関わらず、何故かこの時は補給をせずに先へと進んでしまう。この日のお耳のパートナーは昨日に引き続きTBSの金曜たまむすび。たまむすびと言いながら赤江さんは不在。Nack5もそうだけど、ラジオはなぜ月~木と金曜日で番組構成がちょっと違うのだろう? JR山陽本線に沿った道を歩く。そこまで疲れていた感じはないのだけど、走る気力が出なかった。Monsterのコンク缶を飲んだけどあんまり力が出る感じがしない。思えば軽いハンガー状態だったのだろう。歩きながら、山側の景色に少し違和感を感じるようになった。何が違うんだろうと考えた結果、落葉後の木々が立ち並ぶ山に雪が積もっていないことが北陸と違うところなんだと気づいた。六甲より先の山には素直な稜線が無い。小さな単独峰がぼつぼつと複数盛り上がって山系を構成しているような感じ。気持ちいい縦走というのはここではちょっと難しそうだ。
「はりま勝原」駅を経て、「網干(あぼし)」駅。ぱっと見では何の変哲も無い駅ではあるけれど、私はこの駅の名前をよく知っていた。敦賀から出る電車(北陸本線新快速)の多くが「網干」行きだからだ。言い換えれば、ここであれば一発で北陸に帰ることができる。私にとって越えてはならない(けど越えて進まねばならない)一線がこの網干駅にあったのだ。ちなみに後日、北陸本線新快速は播州赤穂駅まで伸びていたことを知る。ほとんど関西路線なのに、何故に北陸本線?

駅から少し歩くと大きな車両基地。このあたりでさすがにお腹が空いてきて、前日購入して結局食べきれなかったかっぱえびせんを食べ食べ歩く。広い基地沿いにはちらほらカメラを持った人がいたり、三脚が置かれていたりして、撮り鉄さんのお気に入りスポットなのかな、などと思う。しばらく歩くと揖保川。お馴染み素麺の「揖保乃糸」はこのあたりで作られているのかな? なんて思いながら左岸沿いの河川敷を歩いていると、遠くに新幹線が走っているのを見てしまった。思わず「助けてくれぇ」なんてつぶやいていると、この時を狙ったかのように後ろから自転車が追い抜いて行った。きっと聞かれたのだろうと思うと恥ずかしい。次の目的地は新幹線の停車駅である相生駅。あれに乗ったらすぐ着いちゃうんだろうな。途中から新幹線の高架下を歩くようになり、昔話題になった「ど根性大根」の生誕地を見つけた。すでに舗装は修理され、コンクリ上のペイントが無ければ見過ごしそうだった。

相生から先は国道250号線(通称はりまシーサイドロード)を歩く。一本道だから余裕だろうと思っていたところ、相生から赤穂に向かう峠越え区間は歩道がなく道幅もそれほど広くない。その上車通りも決して少なくはない。ここがこの日のヤマ場になると早々にヘッデンを装備し、路傍のお地蔵に安全を祈る。

元禄十四年(一七〇一)三月十九日の、午前四時頃、ここ高取峠をエイホ、エイホの声とともに、二挺の早かごが、赤穂城めざして、突っ走っていきました。
これは、江戸城松之廊下で突発した赤穂城主浅野内内匠頭の殿中刃傷を知らせる第一の使者速水藤左エ門・萱野三平の両士の姿でした。
この早かごは、江戸から一五五里(約六〇〇キロメートル)の長途で、昼夜兼行わずか、四日半で江戸の事件を、家老 大石内蔵助に知らせ使命を果たしました。
(忠臣蔵で名高い、元禄赤穂事件の赤穂でのはじまりは、ここからスタートしたと、言ってもよいでしょう。)

高取峠 駕籠の像

赤穂市との境界でもある高取峠に辿り着いたとき、すでに日は沈んでだいぶ暗くなっていた。峠を上れば下りが待っている。日が暮れた中、車がばんばん走る細い道。カーブを歩くときは結構怖かった。一度クラクションを鳴らされた。コノヤロー。

千種川を越えると広い道と綺麗な歩道が戻ってくる。遠くに赤穂の街並みの明かりが見える。ふと、彼方に四角く青い光が見えた。この日のお宿である東横INNの看板だ。基本的には節約の旅。ホテルもなるべく安いところで選んでいるせいか、本当に近くに行かなければホテルの場所が分からないことが多い。ゴールが見えると一気に気が楽になる。今回のようなケースは本当に有難い。心に余裕ができたので晩御飯のことを考え始めた。この日は西明石で朝食を食べ、網干でスナックを食べただけでお腹が減っていた。ホテルの近くにイオンがあるようで、ここで食べ物を買うことにした。海老天重に山賊焼きチキン弁当、大きなシュウマイ。ポンジュースにプロテインドリンク、R1ヨーグルト。ついでに淡路島コーヒーなる地元ドリンク。せっかくだからこれも買わねばなるまい。

この日のホテル東横INNは赤穂駅直通。全国チェーンといってもこの地域のフラッグシップといえる立派なところで、逆にちょっと恥ずかしい。到着は18時26分。予定より1時間半も早かったのはちゃんと走れている証だ。部屋に入ってシャワーを浴びてすぐに晩御飯。お腹はペコペコだったけど、半分ぐらい食べたら満腹になった。飲み物が多すぎた。その間にお風呂を張って、食後すぐに体を休める。(結局夜に起きて全部食べる)

■3日目:12月31日(赤穂~倉敷:74.89km)

ホテルの朝食は6時半から。お弁当容器に詰めて部屋に持っていくことにした。レストランで食べるとどうしてもお代わりしたくなってしまうからだ。腹八分目に抑えて急いで戦闘服に着替える。右足の調子はそれほど悪くなく、今回はソックスをカーフサポート付きのロングからショートに変えてみる。7時7分に3日目をスタート。走り始めるとすぐ右すねに痛みが出始めて、ちょっとヤバいと思いながら歩きに切り替える。しばらく進むと痛みが和らいできた。筋肉が温まってくると回復するようだ。今後の日程でも痛みとは常に向き合うことになったが、この時に得た「体を動かしているうちに収まる」という感覚はとても役に立った。そういえば、赤穂の街並みをほとんど見ていない。忠臣蔵も見たことないし、まぁ別にいいか。

最初のチェックポイントは「日生」という地だ。道程表には「にっせい」とフリガナを振っていた。赤穂手前の相生(あいおい)という地と併せて、損保保険とはどういう関係なんだろうとずっと調べていたが特に関係性は見つけられなかった。単なる偶然なのだろうか。けれどもネット社会の現在、この偶然を指摘した記事が全然出てこないのは不思議だと思っていたところ、道路上の青看板で日生は「にっせい」ではなく、「ひなせ」と呼ぶことに気付いて驚愕した。ある意味この旅一番のサプライズだった。そんな日生(ひなせ)は小豆島行のフェリーが出る港町で、それほど大きな街では無いにも関わらずそこら中にお好み焼屋さんがある。町を挙げて押しているのが「カキオコ」(牡蠣の乗ったお好み焼き)で、至る所に上り旗が立っていた。フェリー乗り場にはすでに何台か車が並んでいて、うち1つに富山ナンバーを見つけた。北陸仲間としてちょっと嬉しかった。日生から先はずっと海沿いの道。何処かに似ているなと思ってたら、能登の穴水や七尾中島の雰囲気だと気付いた。海の静かさが似ている。能登半島と能登島に挟まれた七尾西湾と、瀬戸内海にありいくつもの島に囲まれた日生湾。カキの養殖が盛んだというところも同じだ。

途中の自動販売機でRedBullをゲット。小尾ちゃんがいつの間にか結婚していたことにびっくりしたついでに、お耳のお供をラジオから音楽に切り替える。最近好きなのはアニメ「チェンソーマン」のテーマ曲コレクションで、オルタナティブロックの勢いでガンガン走る。キロ6分台復活。食事から2時間ぐらいたってエネルギー補給がちゃんとできて、かつ胃袋が軽くなった状態で、エナジー飲料を飲んで音楽で気分を上げる。これをブーストモードと呼ぶことにしよう。勢いで押しまくり、23キロ地点の西片上(備前)に1時間半アドバンテージで到着した。さすがに早い。前日の反省で今のうちに補給をしようと駅前のスーパーでカレーパンとおにぎりを補給する。PBのプロテインバーが98円と安かった。

ここから先国道250号線は2号線に合流する。主要道路が重なることで道もだいぶ立派になり、歩道がなくなる心配が無いのでうれしい。しばらく進むと再び新幹線が表れる。すぐそばに道はあるのに線路が大きな池の上を通っていてちょっと不思議だ。山陽本線の線路に平行して進むと香登(かがと)。備前焼の産地だ。大きな煙突がいくつも見え、その下に窯元があるのだろうと思いながらも近寄ることなく先へと進む。少し先に長船。そういえば国立博物館150周年記念で開催された国宝展で日本刀「備前長船」を見たな。ここで作られたということか。と思いながら、またもや青看板にて、「ながふね」ではなく「おさふね」であることを知り、本日二度目の驚愕。西日本の地名は難しい。

吉井川を越えて東岡山。その先の岡山には、金沢兼六園に並ぶ日本三大庭園の一つ「後楽園」がある。が、ここに入ってしまうと結構時間を食ってしまいそうなので、正面で写真だけ撮って先に進む。途中岡山神社を見つけて寄ってみる。ご祭神は倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)。「第七代孝霊天皇の皇女であり吉備津彦命の姉。霊能力が強く聡明で叡智に長けており、予言や託宣などで疫を治め、武埴安彦の謀反を未然に防ぐなど、崇神天皇の治世の時に重要な役割を果たした(岡山神社Webサイトより)」そうだ。吉備津神社も奨められたけど、ルートからちょっと離れていたから諦めていた。お姉さんのほうで我慢しようと、ここでもお札を1つ頂く。後楽園の代わりに見物したのが岡山城。見たというか、城を突っ切ったほうが道程の短縮につながるからで、跡地を見ていくとこの城もまた相当大きいものだったんだと思った。トイレに寄った後グローブを付け直そうとして、左手分が見つからない。再びトイレに戻ってみたけれど無い。Amazonで1000円で購入したもので、夏向けの冷感生地で出来ていて良触感。親指と人差し指だけ出ているのでスマホ操作のストレスがほとんど無いのが魅力的だったのだけど、ここから城内に引き返して探す余裕はさすがにない。泣く泣く諦めて先へと進むことにした。(ちなみに旅の後、このグローブは改めて買い直した)

岡山から先は倉敷を目指す。県道162号線(旧国道2号線)をまっすぐ進む。通り沿いには何故か北陸名物の8番ラーメン(下庄店)があった。どういう出店戦略なんだろう? ふと川をみると大きなネズミのような生き物が泳いでいる。初めて歩く中国地方は知らないことばっかりだ。朝から気になってはいたけれど、右足小指のマメの痛みが我慢できなくなってきた。途中のバス停で爪切りで処置したところ、ウソのように楽になった。もっと早くやっておけばよかった。

日が完全に沈んだ後もヘッデンをつけて歩き続ける。倉敷駅に近づくにつれて大きなマンション群が見えてくる。このあたりには友人の実家があり、ちょうど大晦日は帰省中だと聞いていた。電話すると出てきてくれて晩御飯を食べられるところを紹介してくれた。といっても駅北のイオンで、時刻は19時過ぎ。モール内のレストランに行くより割引弁当のほうがお得でお腹いっぱいになるので、ここで別れた。岡山名物デミカツ丼に国産牛カルビ重、ロースとんかつ。ついでに大好きな口福堂のおはぎにポンジュース。パンパンになった買い物バッグを肩にかけ、この日のホテルに向かう。予約したのはホテル1-2-3倉敷。総距離74.89キロ。1時間少々早めに到着した。時間的にはずっと前倒しで進めているけれど、予定していたよりだいぶ距離が伸びてしまっている。GPSの精度とかも関係しているのだろうけど、なるべく予定通り行きたいものだ。

ホテルに入って晩御飯。衣服を洗濯して入浴。大晦日の夜は慌ただい。2年前の東海道の旅では「笑ってはいけない」を見ながら寝落ちして、洗濯物を取りに行ったら廊下でふらついていたなぁ。あの時の大晦日は旅の後半クライマックス直前だったけど、今回の旅ではここからが本番。明日は走行距離が一気に長くなる。右足は悪化しておらず、テーピングによるかぶれが出ないかのほうが心配になってきたので3日ぶりに外す。足を触ってみて、ふくらはぎがぱんぱんに膨れていることに驚く。通常比1.5倍ぐらいあるかもしれない。念入りにマッサージを施して、明日以降の回復を祈った。

■4日目:1月1日(倉敷~糸崎:75.00km)

倉敷の朝食は朝7時からで、結構遅め。新年早々テレビをつけるとUTMFのドキュメンタリをやってたのが面白かった。放送時間6~7時とちょうどいい。結末を見てから荷物をもってレストランに向かう。10分で食べて即出発。一度部屋に戻ると時間がかかってしまうから、今後はこの方法で行こうと決めた。初めはやっぱり右足に痛みが出て、テーピング解除は早かったかもと不安になったが、この日も体が温まるにつれて落ち着いた。ふと、倉敷の美観地区を全く見ていないことを思い出したものの、まぁ別にいいやと先へ進む。予め計画していたルートとGoogleマップのナビルートが同じだったので、初めからナビをONしておく。高梨川の手前で再び国道2号線に復帰。新倉敷を経て金光。なんだか怪しい宗教都市のようだが時勢的にもあんまりよろしくないのでスルーした。

スタートから20キロほど進んだ10時ごろ、自販機にRedBullを見つけてこの旅二度目のブーストタイムに入った。この先の笠岡は会社の取引先に強くお勧めされたラーメンの有名どころ。さすがに元日はやっていないだろうと思ったけれど、例えば無事旅を終えられたとして、帰路につく5日、途中下車して寄ってみるというのも面白いかもしれない。そんな期待を抱きながらとりあえず営業日を確かめようとお店の前に行ってみた。まずは「坂本」。営業は1月10日からだという。まじか!ってなり、一気に不安になって、向かいにあるもう一つの名店「いではら」。こちらは1月2日から営業するようだ、が、ピンポイントで5日が休業日となっていた。これではちょっと食べるのは難しいな。もう一軒有名店があるのは知っていたけれど(山ちゃん)、コースから少し離れることになるので諦めて先に進むことにした。

ちょうど12時に岡山県から広島県に入る。予定から1時間半早く進んでいて十分余裕があったので、東福山手前ですき屋の牛丼大盛。美味し。10分ほどですぐに店を出て、腹ごなしのウオーキングを始めたところ、ちょうどNACK5のカメパが始まった。さすがに元日はゲスト無し。テーマは「お正月なにしてる?」。ちょうどお腹いっぱいで走ることが難しいタイミングでもあったので、ちょっとメッセージを送ってみる。大阪から広島まで歩いてる。ゴールは九州門司だ!みたいなこと。コロナ禍真っ最中(今もそうっちゃそうだけど)の2年前に比べて今ならちょっと言いやすい。福山ではもう1つお勧めされていた福山城。最近リニューアルされたという情報だったが、寄ってみると何故か卵型のバルーンが城内に大量に敷き詰められている。触るとぼよんぼよんして面白い。いったい何のイベントだったのかは分からないけど、モスラに卵を産み付けられた福山城みたいなSFチックな雰囲気を感じた。

引き続き2号線を走っていたけど、備後赤坂の手前で道が二手に分かれる。Googleマップを見るとどっちも2号線になっているけどどういうことだろう? 一方は自動車専用道になるようで、北側の福山尾道線を進む。しばらく走っているとふいにラジオから聞き覚えのあるラジオネーム。私が送ったメールだ! 歩きスマホに近い状態でちゃちゃっと書いたメッセージにとても興味を持ってくれて、いろいろ言ってくれたので補足情報をもう一回送った。ラジオ聞き専歴10年で、メッセージを送るのも読まれるのも初めて。紹介してもらうとテンションが滅茶苦茶上がった。「旅の最終目標は何なのだろう?」みたいなことを言われていて、そういえば、私はなんで走ってるんだろうということを真剣に考えた。それに気を取られ過ぎていて、その後尾道の手前まではほとんど景色の記憶がない。一度、尾道の手前で転びそうになる。反射的にガードレールをつかんで勢いを殺し走り続ける。まだ感覚は死んじゃいないなと嬉しく思うのとともに、ガードレールにバリが出てたら手をケガしてたな。。。と思ったりした。尾道に向かう峠で2通目のメッセージも読んでいただいた。ちょうど険しい峠越えの最中だったので気合が入る。福山領と芸州領の境を越える細い山道。不思議な大きな碑が目に留まる。碑を紹介する新聞記事が近くに貼ってあって、日蓮宗の上人の言葉が記されたものだと知る。

歩き旅の目的。電車や車と違って目に入るいろんなものに思いを馳せる余裕があること。自転車でも同じ人力とはいえやっぱりよそ見は危険だが、徒歩は転んだとしてもケガの度合いはたかが知れている。人が住む町にはそれぞれ大小さまざまな歴史があり、ガイドブックやインターネットでは見つけられない小さな情報も歩きであれば目に留まる。その都度足を止め、それを読んで知ることができる。一般的な旅では気づくことが無かった街ごとに変わるマンホールの柄やその土地ならではのスーパーやドラッグストア。ふと耳に入るその土地の方言。体が全ての刺激を受容して、頭が想いを巡らせる。だから私は歩くことを選んだ。分かりやすく言えばアルティメットなブラタモリ。こんな旅が素直に好きだ。

尾道は中国地方で唯一以前来たことがある街だ。来た、とはいっても街並みはほとんど見ずに自転車でしまなみ海道に直行してしまったのだけど。言っても今回も千光寺のようなポピュラーなところに寄る余裕はなく、それでも瀟洒な商店街の雰囲気は十分に楽しむことができた。そういえば尾道もまたラーメンの聖地。コース上には有名店「丸ぼし」があるではないか。Googleマップには混んでいる表示。そもそも元日開いているんだ。。。と思いつつ。例えば空いていたとしたらどうしても食べてみたくなるだろうし、行列でもできていれば諦めもつきやすい。想像通り店の前は人がいっぱいで、ほっとした気持ちで前を通り過ぎた。大きな尾道駅を過ぎると途端に街頭のない暗い道のりが始まる。ゴールまであと10キロ弱。日も暮れてヘッデンの出番になったけど、この日に関しては車通りがそんなに多くは無くて、ちゃんと歩道もあったので安心して歩くことができた。ふと道路沿いの線路のポールに大きな物体が乗っているのに気付いた。なんとはなしにライトを向けると大きなフクロウが止まっている。ぐるっと顔をこちらに回し、お互いに数秒見つめあう。カメラを出そうとしたところで翼を広げ、飛び去ってしまった。正面からちゃんと見たことがこれまでなかったので、結構びっくりした。

この日の目的地は三原手前の糸崎というところ。糸崎神社という結構大きな神社があったのでお賽銭を入れていこうと思ったけれど、ちょうどお賽銭取り出しの儀を行うところだったのでそっとその場を離れることにした。途中、道路の脇に歩道が逸れていくところがあり、長めの階段に続く。上るとドアがあり、ドアを開けると大通りの歩道に出た。ちょっと不思議な道だった。そこからホテルは見えたけれど周辺に食べるところはないのは知っていたので、少し先の駅前のコンビニで夕食をゲットした。焼肉弁当にカップ焼きそば大盛、チーズリングスナック、オレンジジュース、揚げ鳥を買う。ホテルAZ広島三原店にチェックインしたのは18時45分。予定よりも3時間近く早い到着だが、そもそもの予定がだいぶゆとりを持たせたもので、これ以上遅れたらリタイヤを検討しなければならないデッドラインといってもいい。ホテルは建てられたばかりのようでとても綺麗だった。

7日間の日程でいえばすでに後半戦に突入しているものの、総距離からいえばまだ中間点にぎりぎり達していないところ。ふくらはぎはぱんぱんなまま。足裏もだいぶ腫れてきた感じがしていたので入浴中にマッサージを施したところ、血流がよくなったからか猛烈な痒みが襲い掛かった。この痒みがなくなるまで処置すれば明日はもっと楽に走れる。そう思うことにして念入りに処置をした。時間に余裕のあるうちにゆっくり休もうと思ったけれど、横になってもうまく寝付けず22時近くまで目が覚めていた。そういえば部屋が寒かったのでエアコンを22度に設定してみたところ、すぐにころんと眠り込んでしまった。

■5日目:1月2日(糸崎~広島:75.00km)

朝は5時に起床。だいたいこの時間に目覚まし無しに起きる。寝汗をかいていたようで、寝る前に貼った湿布が剥がれていた。旅の少し前に友人から譲ってもらったものでだいぶ役に立ってくれたが残りはもう僅かだ。この日も朝食はザックを持って。夕食が物足りなかった分、我慢できずにちょっとお代わりしてしまう。まだ暗い朝6時半にチェックアウトし、まずは糸崎駅へ。この駅については文春オンラインの記事が詳しい。

岡山から西に向かう山陽本線の列車は、ほとんどが糸崎止まりになっている。そのひとつ先の三原駅まで行く列車もあるが、頑張っても三原まで。つまり、糸崎駅(と三原駅)が鉄壁のごとく立ちはだかって、まるで広島行きの関所のよう。青春18きっぷで山陽本線を乗り通す人にもすっかりおなじみだろう。

文春オンライン「「セブンイレブンいいなあ」JR山陽本線 広島~岡山の間“ナゾの終着駅”「糸崎」には何がある?」

事前にざっと読んではいたけれど、鉄道用語は難しくて頭に入らないのです。私自身、そんなに深く物事を追求できる性質ではないけれど、いわゆるオタク界隈の人は本当に尊敬する。もちろん人様に迷惑をかけないことが大前提なのだけど。とにかく糸崎は歴史がある駅なんだなぁ、とざっと理解し、先へと進む。次の三原駅はしまなみ海道に属する島々への船が出る大きな港町でありながら、「広島朝の間、三原は三日、備前岡山通り抜け」というような武芸の盛んな地だったようだ(看板の受け売り)。後で見ると糸崎のあたりからいつの間にか2号線から国道185号線に切り替わっていたようで、さらにその先はしばらく沼田川に沿う県道75号線を走る。走るといっても結構足が重くて、キロ7分がたまに出る程度。ほとんど平地の本郷までの10キロでそんなペースだから、この先に待つ山越えが不安だ。この日はちょうど箱根駅伝往路の日。超スローペースな第一走者群と同様、私もまた力を温存しているのだ、ということにしておこう。

本郷大橋を渡ると山区間が始まる。予めガーミンのコース図でアップダウンが続くことは把握していて、およそ10キロ近く広島空港までの上り道は我慢できた。そこから先、山陽自動車道に沿って走る道。10キロ以上もアップダウンが繰り返す。それなりにきつい傾斜にきつい下りが本当にいくつもいくつもいくつも繰り返す。ほとんど平地などなく、ただひたすらアップダウンのみ。上りは歩くとすぐ割り切っていたけれど、下りを歩くと膝から下に負担が大きく、軽く走る感じで進む。何度も何度も繰り返し、途中でいやになって歯磨きなんかをして気分を紛らわせる。30キロ近く歩いてきたが、ホテルで入れた水がまだ残っている。汗をかくような動きができないから喉があまり乾いていなかった。が、いずれハンガーや脱水になるかもしれない。早くこの区間を抜けなければならない。高速沿いの細い道。途中、白鳥神社参道郷地区の登山口を見つける。体力的に参拝は難しいけれど、こんなところにも人の営みがある。歩きでなければ絶対に気付くことができないことだ。

山陽自動車道にかかる別所橋を南に渡ったところが郷地区からの登山口である。郷地区の参道には、昔から神社までの距離をあらわす「丁石」が配置されている。別所橋を渡す手前にある牛舎の近くには「白鳥社七丁」の丁石が立っている。この麓の入口から山頂の神社まで約760mの登山道である(1丁=109m)。途中に、天狗が彫ってある通称「天狗岩」があるので、見逃さないように注意してほしい。

高屋西小学校区住民自治協議会設置の看板

西条は酒の都。今の私には縁がない話だ。カロリーだけはちゃんと摂取したくて、ドラッグストア「コスモス」でドーナツとメロンパン、プロテインドリンクを購入。2日目から喉のお供にしていた龍角散が切れたので、再びのど飴を補充した。八本松を過ぎると再び山区間。あんまり記憶がないけれど、それほどきつくはなかったと思う。途中、吉田松陰詩詠の地。この後山口県に入ると頻出することになるが、今回の旅で松陰の名が登場したのはここが初めてだった。その日のスタートエンドを単純につないだルートではあるけれど、それが結構西国街道に被っていて、理由あって道が作られているんだということを実感した。

瀬野川に出るとようやく街らしい雰囲気が戻ってきた。ゴールの広島まで20キロほど。この日のタイムアドバンテージはほとんどなくて、これはちょっとまずいと思った。コンビニを見つけ、サンドイッチとRedBullを補給しブーストモード発動し、走る。川に沿った道路を走っていたところ、河川敷に遊歩道があるのに気づき移動する。車の心配がないので安心して走ることができる。時刻は16時ごろ。夕方のランニングをしているおっちゃんに、年始を家族親族で遊ぶ子供たち。沈む夕日に輝く新幹線。とても平和な雰囲気に包まれていた。

遊歩道がなくなると今度は線路沿い。海田市駅を過ぎてしばらく進むと都会的なビルやネオンが見え始めた。この雰囲気は倉敷以来で、きっとこの旅最後の大都市だ。マツダドームの前を通って広島駅のほうに向かう。どこかで何か食べたいところだが、ちょうどいいお店がなかなか見つからない。最悪の場合に備えてコンビニでカップ蕎麦とポテチ、その他諸々を購入。改めてGoogleで調べたところ、牛丼の松屋があるようだ。よくよく店舗名を見ると、ちょうどその日宿泊予定のホテルの1階に入っていることが分かった。牛丼チェーンの中でも最近のお気に入りが松屋。いろんなソースがあって味変が簡単だし、定食のお代わり無料も魅力的。コンビニでいろいろ買ってしまったのをちょっと後悔しながらお店に入る。牛カルビ定食730円。とにかく美味い。その上ご飯もお代わりして胃袋を満たした。宿泊したのはココホテル広島駅前。聞いたことない名前で小さなところをイメージしていたけれどかなり綺麗で設備も最新。暗証番号を設定できるコインランドリーは初めて見た。

この日のゴール時刻は18時42分。予定と3分しか違わないイーブンペースだ。5日目の想定距離は66キロで、全日程の中では短めに設定していたが、この日の平均ペースは10分/キロ。まさにデッドラインぎりぎりの速度だ。旅の予定では、6日目の走行距離は86キロ。これまでの傾向から考えると実測90キロを超えることになるだろう。とはいえ、ここからペースが大きく回復することは望めない。であれば、どうするか。まず1つ、宿の出発を早めること。そしてもう1つ。この旅の大きな目的である厳島神社の参拝は諦めるべきなのだろうと、この時点で覚悟していた。

■6日目:1月3日(広島~徳山:91.34km)

4時にセットした目覚ましが鳴る前に起き、すぐにポットでお湯を沸かした。前日購入したまま食べられていなかったカップ蕎麦を朝ごはんにする。1階の松屋もちょっと魅力的に思ってはいたけれど、ここから先余計な荷物は早めに減らしておいたほうがいい。ホテルを出たのは4時50分で予定より30分早い。1階の松屋は24H営業ではなかったらしく、この時間は営業していなかった。カップ蕎麦の判断は正解だったようだ。まだ未明ともいえる暗がりの中、徹夜で飲んでいたのだろう若者を横目に、それでも原爆ドームだけは見ていこうと向かう。もちろん、コースのロスもそんなに無いことを確認した上である。まだ真っ暗な中で見るドームは想像していたよりも小さな建物で、けれどもPixel 6aの夜景モードで撮影された写真を見返すと、若干モノクロがかった色合いになっていることもあってとても物悲しい。「戦」の年を経て、「新しい戦前」の今年。平和って何なんだろうと思う。祈るということ。祈れば手が塞がる、と心の中で否定する一方で、でもそれは自分のための祈りの時に限った話だろう。自分の利益のためならば他力本願ではなく自分でつかみ取ればいい。でも、このドームと慰霊碑の前で心に浮かんだ祈りというのは、自分のためではなく他者のための祈りのことだ。自分の力が及ばない社会への祈り。神にすがるしかないときもあるんじゃないか。ただ今は走りたい。

暗いうちはどうしてもスピードが出ない。せっかく早出したにも関わらず、5キロ地点の東高須ですでにアドバンテージのほとんどを失っていた。これではまずいと、コンビニでRedBullを買いブーストタイムに入る。夜明けもまたモチベーションを上げるきっかけになるようでペースは一気に上がり、宮島口では30分近くのアドバンテージに戻した。が、宮島へのフェリー乗り場を探してウロウロして10分ほど消費してしまう。先へ進む決心はすでについていたけれど、それでもその手前までは行っておきたかった。写真だけさっと撮影し、その場を離れた。

いつの間にか復帰していた海沿いの国道2号線。厳島神社への想いを振り切るようにひたすら走り、大竹を過ぎる。ここからまたまた2号線を離れて新岩国方面に向かう。小瀬川を渡って川沿いを走っていると、ふとここが山口県の県境にあたることに気付いた。ちょっとした峠を越えて新岩国駅の前、大きな杉玉(この言葉もその日のラジオで偶然知った)の飾られた酒造店(村重酒造)の前を通る。少し進むとペットボトルを持った女性が集まっている。よく見ると、先ほどの酒造店の井戸水が自由に汲めるらしい。ちょうどペットボトルが空になっていたので、ありがたく頂くことにした。

ここから先は欽明路というらしい。古くからある山あいの道の感じがして、そういう区間に入ると道中にお地蔵さんを見ることが多くなる。玖珂(くが)で合流した2号線。ふと見ると起点から400キロの道標がある。思えば遠くにきたもんだという気持ち。あと100キロと少々で終わるという気持ち。道標の写真を撮っていると、その後ろにキツネの死骸が落ちているのに気付く。なんか運が無い。玖珂駅を過ぎて少し行ったところで、ショートカットらしい県道(光玖珂線)に入る。確かに若干の短縮にはなったのだろうけど、この細い道は相当な峠道。さらに頂上付近は15時過ぎにも関わらず道路が若干凍っている。なかなか険しい道に入ってしまったようだ。ただ、右手の方からは車のエンジンが立てる爆音が聞こえていて、もしかして2号線は暴走族のたまり場かなんかなのかもしれない。であれば、貧弱な徒歩民はこの道で正解なんだろうと思っていたところ、2号線と光玖珂線の間にサーキット場があったようだ。歩いていると酒屋さんに日本酒『獺祭』の暖簾がかけられている。そういえばこのあたりに酒造があったんだっけ。

高水(たかみず)駅前を通過したのは16時42分。予定より2時間近く先に進んでいる。ここからゴールまでは2号線。歩道は結構広い。残り10キロを切って徳山には20時までに着く確信を持つと、今度はお腹が減ってくる。セブンイレブンでおにぎり購入しすぐ食べる。徳山では何を食べようかと考えていたが、駅周辺には吉野家ぐらいしかないようだ。牛丼チェーンの中でも吉野家は苦手で、若干味が薄いというか物足りないというか。これならコンビニのカップ麺でもいいやというか。。。いや、2号線のロードサイドにはもっと別のチェーン店があるはずだ。そうは思いながらも日が暮れると道は相当冷え込んできて、両手に防寒グローブをはめたせいでスマホの操作がしづらく調べられない。最悪本気で2日連続コンビニ弁当かと半ば諦めていたところ、ふいに目の前にすき屋登場。やっぱりあるじゃん。特盛。美味い。

直前のスーパー(ゆめタウン徳山)に寄ったりした結果20時は越えてしまったけど、無事ホテルに入る。行動時間は15時間半で総距離91.34キロ。ホテル・アルファーワン徳山。ちなみに受付のお姉さんが綺麗だった。α1ならではの過剰なサービスでお手拭きをもらったりホッカイロをもらったり。朝食券の説明もしてもらう。朝食は朝6時半から。α1は大津店を何度か利用していて、東海道の旅でも7日目に使ったお宿。たびたび泊まる理由はおいしい豪華な朝食だ。でも、折角だけど今回は使えないと思っていた。右足のすねはまだ生きているけれど万全の状態とは決して言えない。右をかばう形で左足首、ひざの痛みは結構強くなっていて、どちらかというとこちらのほうが歩行に支障を生じる原因になっている。体のダメージを考える限り、行動時間が予定より伸びてしまうのは避けられない。広島~徳山間はそもそも早出で宮島行きも省いた。が、山陽道7日目の行程ではそんなバッファは設けていない。長府の予定到着時刻は23時だ。これ以上到着を遅らせるわけにはいかない。となると、明日の朝食を諦めて早い時間から歩き始めるのがベターな選択肢だと考えた。実質残り1日。意地でも歩き抜いてやる。

■7日目:1月4日(徳山~長府:93.70km)

4時に目覚ましをセットしていたら3時半にパッと目が覚めた。まどろむ間もなくお湯を沸かす。アルファーワンの湯沸かし器は小さくて、一度に作れるのは500mlが限界。前日スーパーでカップうどんを2つ購入していて、2回お湯を沸かさなければならない。1杯目のお湯を沸かしている間に身支度を整え、若干柔らかめのうどんが出来上がったころに2杯目のお湯を注ぎ、出来上がるまでに1杯目のどん兵衛を流し込む。2杯目の赤いきつねはお湯を捨てて焼うどん風にする。個人的には赤いきつねのほうが好き。食べ終わるとさっと口をすすぎ、ザックを背負う。ホッカイロと、勿体ないけど朝食券はここに置いていく。受付は違う人に変わっていてちょっと残念だったけど別にいい。当初の予定より3時間前倒しで実質的な最終日に挑む。

徳山の繁華街を過ぎてすぐに駅前。特に何もない。とりあえずは26キロ先の防府を目指す。さすがにまだ真っ暗で空気は冷たくかなり眠たい。もちろんそれは織り込み済で、走るのは難しくても歩くのは絶対に止めない覚悟で進んだ。こんな時はラジオだ。伊集院光のJUNK(タイムフリー)で気を紛らわせながら進む。海沿いの道にはずっと大きな煙突や化学工場の施設が続いていて、そういえば旅のスタートに向かうとき。美川駅に留まっていた貨物列車のコンテナがトクヤマ社のものだったっけ。空は真っ暗だけど立ち上る白い煙。煌々と灯るライトに照らされた白い工場施設。これこそ私がイメージしていた中国地方の風景だなぁなんて思う。流れ星が長い尾を引いて落ちていった。しまったなぁ、布団で寝たいと願えばよかった。そういえばしぶんぎ座流星群がちょうどこの時期だったっけ。

福川を過ぎると再び登場した国道2号線。徐々に海から離れていって、どうやら防府に入るには峠越えがあるんだろう。この旅は徐々に南下しているはずだけど、この時間はとてもとても寒くて、ポリゴンULジャケットの上にさらにMontbellのサーマラップジャケットを羽織り、右手はグローブを二重につける。左手は岡山で失くしてしまっていて、それでも防寒用のものだけでもつけて両手をポケットに突っ込んで歩く。途中、ナビが2号線から離れる指示を出してきたけれど、どう見ても山越えルート。大したショートカットになるわけでもないのでそのまま2号線を歩く。とにかく早く日が出てほしい。聞けるラジオのストックも尽き、音楽を聴いてブーストするような元気がたまっているわけでもない。こんな時は宇多田ヒカルの『Fantome』。アルバム2曲目の「俺の彼女」が滅茶苦茶好きだ。徐々に明るくなる空がメローな気持ちを増幅し、ふいに涙が流れてくる。すぐに冷たくなって目の周りが痛くなる一方で、歯を強く食いしばり体は熱くなる。なんでこの人はこんな詩を書けてしまうんだ。

朝が訪れたころに道の駅「ソレーネ周南」に到着する。自販機を見たけどエナジードリンクが置いてなかったので、トイレだけ借りて先に進むことにした。青看板を見ると下関まで89キロ。分かってはいたけれど残り100キロを切ったことを改めて実感し、さらにその下には温度計。マイナス3度と表示されている。そりゃ寒いわけだ。美川なんかより全然寒い。道の駅から先は椿峠。残念ながら歩道はない。特に下りは結構車も多くて苦戦したけれど、ちょうどその横にもう1本道路を作っている最中で、申し訳ないけれどそこに侵入することにした。コンクリを敷く前の土の道は足に優しく、ついでに毛利時親(ときちか)の遺跡っぽいものを発見。三本の矢で有名なやつかと思っていたけど、あとで調べたら鎌倉南北朝の人っぽい。峠を下り終えると富海(とのみ)。若干ややこしい道で2号線を離れ、海沿いの道を歩く。トンネルやら煉瓦のバス停やらを越えると徐々に街中の雰囲気が出てきてちょうどお腹もすいていたころ。突然馴染み深いお店の看板が目に留まる。松屋フーズが運営するとんかつ屋「松乃屋」だ。ひらがな版の「松のや」との違いはいまいちわからないけど、とにかく大好物のトンカツを朝から食べられる聖地。出発から5時間近く。ちゃんとした朝ごはんを食べたい! 玄関の掃除中にも関わらず突入し、大好きなとんかつ朝定食(490円)。出されたとんかつはいつも関東で食べているものよりどう見てもトンカツのサイズが大きい! 確か通常朝定のトンカツは80グラムだったと思うけど、これはどう見ても100グラムを越えている! ご飯はもちろん大盛。本当はお代わりもしたかったけれど、そうすると旅が遅れてしまう。いつもはちまちま食べる肉を豪快に1切れ単位で口に入れ、十分味わう。美味い。本当に美味い。神さまありがとう。

ご飯を食べて元気になったけれど足にはいろいろ問題が出てきていて、一度動きを止めてしまうとすぐに固まり痛みが出始めてしまう。しばらく歩いて調子を整え、防府駅を過ぎるとしばらくまっすぐな道。腹もこなれてきたためか、少しずつ走るようになっていく。佐波川を越えて種田山頭火のxxがある小さな通りを突き抜け、この日2つ目の道の駅「あいお」。なぜか分からないけど調子がよくて、ここから先もしばらく走る。ちょうど正午ごろ、セブンイレブンを見つけてRedBull。ブーストタイムでさらに勢いをつける。しばらく続く平たんな道。走ることができるのはこの日はここしかないと分かっていたのかもしれない。周防大橋までの距離を示す青看板を頼りに走る。

大橋にはちゃんと歩道があって、立派な建造物なので写真撮影もちょっと頑張ってしまった。が、そんな余裕はここまでだった。周防佐山を越えると山越えが始まった。これは予め、Garminのコース図で見つけて覚悟していたものだ。広島空港から先のアップダウンに比べれば大したことはない。さらに言えばこの県道は車通りもそんなに多くはなく、走ることはできないけれど十分前に進むことはできる。周防佐山から厚東(ことう)まで12キロ。2時間かかってしまったけれど、黙々と歩いた。この時に初めて、ホテルの朝食を諦めた判断が正しかったのだと確信した。予定通り7時半出発にしていたら、こんな区間を日が暮れてから進まねばならない。日の出ている間だからこそ落ち着いて進むことが出来ているんだ。思えばこの選択は厳島神社を諦める選択をしたから選べた道だと思った。前日のホテル入りが早かったからこそちゃんと睡眠をとることができ、早出が可能になったのだ。そのおかけでこの難所を攻略できた。きっとこの判断が旅の成功を決める最後のpieceだったんだろう。

厚東の手前の自販機でRedBullを補給。ただブーストをかけるような元気はもう残っていない。歩道のない車道を歩こうとしたところ、近所の方に鉄道沿いの歩道を教えてもらう。平たんな道でちょっと得した気分。ここから先、この旅でもう1つ大切な選択があった。当初は最短ルートの厚狭に向かう2号線を進む予定だった。一方でこの日は歩道のない道を歩くことが多く、若干安全面に不安を感じていた。さらにこの先の2号線は再び山道になり、タフなルートが懸念された。一方で南の宇部に迂回すれば、山道を概ね避けていくことができる。少し迷ったけれどGoogleマップによれば距離の差は3キロ程度。安全に越したことはないと、宇部ルートに回ることにした。このルートもなんやかんやでアップダウンはあったけれど、街中の道で危険は全くなかった。

ちょうど海沿いの道に出たあたりで夜を迎えた。埴生(はにゅう)手前の国道190号線。日も完全に暮れて濃い紺色の空の下、対岸に大きな橋が見えた。あの橋の下が関門海峡だと気づいた。旅の終わりを感じるというよりも、まだ結構距離はあるというのが正直な感想だった。足はそこら中限界が来ていて、1キロ歩くのに12分近くかかるようになっていた。埴生(はにゅう)から先はバイパス地獄。どこを歩いていいか分からずに相当苦戦した。2号線の立派な歩道を歩いていたら道の合流地点で高架下に降ろされる。結局2号線に歩道はなく、高架下の細い道をしばらく歩くことになった。長府まで残り5キロを切ったものの、高架が邪魔で先が見通せない。やたらだだっ広い駐車場を過ぎてようやく2号線の歩道に復帰したとき、目の前に街の明かりが飛び込んできた。旅の中で何度も見てきた似たような街並み。それでもだからこそ、この中に快活クラブがあるんだろうということは直感した。

それでもちょっとずつ前に進み、20時45分。この日の宿泊地に決めていた快活クラブに到着した。すぐ隣にはエニタイムフィットネス。全国のジムが使い放題というのがウリなんだけど、会員になって1カ月経たないとその恩恵を受けられない。昨年12月に入会したばかりなので、私のキーではまだ入れないが、今後エニタイム巡りなんかも面白いかも、と思ってみたりする。直前のマックで倍ビックマックを2つ買って、フラットルームに入ってすぐ食べた。ぺろっといけた。それからシャワーを浴びて、PCの大きな画面で地図を見てみると、すぐ近くにホテルAZがあることに気付いた。体をちゃんと休めるならホテルに移動したほうが絶対いいのだけど、明日はたかだが10キロ少々。早く出発したい気持ちもあるので、漫画喫茶で十分だ。

■8日目:1月5日(長府~門司:12.86km)

今回は寝袋も持ってきておらず、ただフラットシートの上にごろんと横になるだけ。幸い長府の快活クラブの席は広めで足はちゃんと伸ばせるものの、それでも窮屈感は否めない。シャワーに二度ほど入って下着を手で洗濯。眠れないから漫画も読んだりして時間を潰す。横になることで腰の痛みが強くなってきたため、マッサージシートに移動した。1時間ほどそこで休み、午前5時半。グランド・フィナーレに向かって最後の旅を始めた。

が、やはり漫画喫茶はきつかったのか足の痛みは半端ないことになっていて、まっすぐ歩くことができない。大人しくホテルに泊まっておけばよかった。後悔先に立たず。空は暗いが歩道はちゃんと設置されていて、安全面に不安は全くない。この日は多くの企業で仕事始め。朝5時台にも関わらず、バス停にはチラホラ待っている人がいる。こちらはキロ12分台もぎりぎりというペースで歩いていて、目の前のバス停にバスが止まり客が乗り込んでいく。そんな景色を見ながら次のバス停。ここにも待っている人がいる。あれ、さっきのバスに乗らなかったのか? と思っていると再びバスが来る。ゆっくり歩いていると何度もバスに追い抜かれる。路線バスの本数が異常に多いのだ。横断歩道の信号が点滅し、急いで走ろうとしたところスマホがザックから飛び出て道路を転がる。出し入れをスムーズにするために保護ケースを外した1台で、四角ともガラスが欠けてしまった。今回使ったザックはサロモンのXA35。年末に東京で衝動買いしてしまったもので、腰パッドがちゃんとしていてポケットがたくさんついているのが魅力ではあったのだけど、そのいずれもスマホの収納には帯に短しタスキに長しで、残念ながら総合的な好みはRush30のほうに軍配が上がりそうだ。そのRushも相当使い込み、メッシュ部分のそこかしこに穴が空いている。2代目を買おうとは思っているものの、できれば腰パッド増設で肩への負担軽減を図る仕組みを導入できないか。。。ザックの沼はまだ深い。

長府もまた観光できるスポットは幾つもあるようだが、残念ながら余裕がなくスルー。とにかく海沿いを歩き、関門海峡を目指す。途中、東に向かってカメラを向けている人がいた。もうすぐ夜明けだ。向こうに見える大橋が徐々に大きくなってきて、ちょっと小腹を満たそうとコンビニで豚まんを買う。「からしか酢醤油つけますか?」。そういえば九州ってそんな文化だっけ。反射的に断ってしまったけど、食べてみればよかったな。壇ノ浦古戦場の看板だけを見て、少し歩くと大きな砲台のモニュメントが並んでいる。さて、関門トンネルの入り口はどこだろうと探すと、道路を挟んで向かい側。

トンネルに入るにはエレベータで降りるしかないようで、ここだけは自力踏破と言えないかもな、なんて思う。トンネルの中は平たんなイメージを勝手に持っていたけれど結構傾斜があって、一番の撮影スポットである県境ラインを目指して歩く。ふと後ろから足音が近づいてくるのに気付いた。トンネル内の掲示にはランナーに注意を促すものもあり、その類かなとも思ったが、振り向くと小学生くらいの男の子が走っている。ちょうど県境の撮影スポットに到着したタイミングで男の子も到着。そのまま走り去ってくれるかと思ったら、彼もまたそこに留まっている。遥か後ろには多分そのご親族らしき人たち。そうか、彼も観光客か。写真撮影が非常にやりづらくて、仕方がないから適当に一枚撮って先に進むことにした。ちょっと残念ではあるけれど、こればっかりは仕方がないね。

撮影ポイントを逃してしまい、このままいても心苦しくなるだけなので急いでトンネルを抜けた。抜けた先には和布刈(めかり)神社。海岸ぎりぎりに立つ鳥居からは、先ほどまでいた本州下関の景色が見える。そうだ、ここは九州。高校生の修学旅行以来。ほぼ記憶が無いので、実質初めて来たのと変わらない。ここから門司港まではほんの2,3キロだが、折角なのでもう1つ寄っておきたいところを快活で見つけていた。国道2号線の道路元標から始まったこの旅。本線の終点ポストが門司港近くの老松公園前交差点にあるようだ。この標識を見ていこう。

門司港の周辺は結構道が入り組んでいたけれど、案外すんなり目的の交差点に着く。「大阪から537Km」。ただそれだけが書かれた小さな標識がそこにあった。何なら100メートル毎にあったりして特に目新しいところも何もない。次の距離表示がないからここが終わりなんだろうと推察する程度の標識。それでも私はこれが見たかったのだ。2年前に引いた東京から京都の線。京都から大阪の線を2022年初めに繋ぎ、そして今回の旅でその線をさらに西。関門海峡を経て九州に伸ばす。さらなる旅の世界がこの先に広がる気がした。

「旅の最終目標は何なのだろう?」。カメパで礼央さんが言っていたことを繰り返し考えていた。その問いには大きなゴールに向かって収れんしていくようなイメージがあるように感じた。全国制覇を最終目標にして地区予選を勝ち抜いていくような。例えばTAJR出場? もしくは日本(世界)一周の旅? 最終目標になり得そうな対象は例えばこういった形で表現できるのかもしれないけれど、私の場合はちょっと違うなと思った。別に大きな目標があるわけじゃないんだ。社会人として働くこと。それを前提とした休暇を使った旅をすること。時間をいっぱいいっぱい使うような体験がしたい。そう思って旅を企画してチャレンジしてみる。上手くいかない時もある。その時は反省して次に生かそうとする。旅の中でいろんなことが分かってくる。ふとしたきっかけで得た情報が繋がり形が生まれる。そこには足りないピースがあって、それを埋めるために別の刺激が欲しくなる。目標に向かって収れんするのではなく、むしろ旅をきっかけに様々な方面に興味が拡散していく。可能性が広がる感覚にワクワクし、次に向かう勇気につながる。試練と憧れ。憧れは止められない。

「門司港レトロ」を合言葉に、その通りレトロな雰囲気の建物が並ぶ門司港。どれもこれもが写真映えしそうな景色で、逆に何が一番の観光スポットなのだろうと考えていると、旅の終点である駅まで来てしまった。ログを止めてほっとした。長い長い、本当に贅沢な時間だった。

駅中が特にレトロな雰囲気だが、体力的に歩いて観光はもう難しい。早く帰って眠りたい。Yahooで経路を確認し、これまたレトロなみどりの窓口でチケットを買う。少し早い電車が来ていたので乗ってしばらくして、「門司港」と「門司」は別の駅なのだと気づいた。乗っていたのがYahooで見ていた列車のようだ。10分程度の滞在で門司港を離れた。小倉で新幹線に乗り換える。次の停車駅は広島。私の2日分が1駅だ。景色を見て思い出に浸ろうと思っていたけれど、あまりに早くて何にも分からない。周防大橋が遠くに見えた。それを最後に記憶が途絶えた。次に目を覚ましたのが福山。ただ、海側の席だったので城とかは見えない。もうなんかどうでもよくなって、7泊8日の旅も新幹線だと3時間という事実を噛みしめながら京都。サンダーバードに乗り換えて小松乗り換え。美川のアパートに戻ったのが14時過ぎ。翌朝6時まで眠って仕事始め。月初は諸々忙しくって、あんまりこの旅のことを振り返る時間が無かった。

後で記録を足し合わせると、総距離556.2キロ。こんな規模の旅は今後の人生であと何回出来るものだろう? 少なくとも7日間の旅で1日90キロを進むような強硬計画は勘弁願いたいが。1日の予定は70キロがきっと限界で、1週間で500キロというのが現状の能力ではギリギリなラインなんだろう。でも、この力で楽しめるフィールドは徐々にネタ切れが近づいてきていて、新たな世界を広げるためには能力の向上が絶対条件になるだろう。ここ1年は歴史や地理の本を中心に読むことが多かったけれど、最近は運動に関する知識を増やしていかなきゃと思うようになった。効率を高め、より余裕をもってより早く。強く。強く。なぜだろう。旅を重ねて日本というフィールドが狭くなっていく一方で、私の中にある一歩先の世界はどんどん拡張しているような気がする。きっとこれが走る理由なんだろう。

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テーマの著者 Anders Norén