HeartBreak One Run

走る。登る。回す。紡ぐ。

琵琶湖一周RUN@19年1月12日~13日

近江塩津でのはじまり


はじまりはいつも、JR近江塩津駅から。この駅は琵琶湖西回りの湖西線と、東周りの北陸本線との乗り換え駅だ。だから乗り換え客は多いけれど、駅の出口に向かう人は少ない。というか、私は見たことがない。 そういう理由からだろう、ホームの幅は1mも無いかもしれない。電車を待つための椅子も置かれていない。(置いてしまうと歩けない)
出口は駅というより民家のようで、田舎生まれの私でも、「田舎だなぁー」と思ってしまうような風情ある雰囲気。駅員さんというより守り番といったほうがいいような管理人が駅室の奥のほうに暇そうに座っている。ここが僕の2Daysの始まりだ。

この駅に来るのは3回目。目的はいつも同じ。

琵琶湖を走って一周したい

初めて来たのは去年の10月。反時計周りで進み、結局彦根でリタイヤした。2回目は11月ごろ。体調を悪くして峨山道トレイルランを欠場し、その復帰戦として挑んだものの40km足らずでリタイヤした。今回の挑戦は悪天の正月休みに繰り返した40kmLSDが意外と楽に走れるようになったからで、実は2連休(世の中的には3連休みたいだが)があるとその数日前に知り、何か予定を入れないと会社の人に呼び出されそうだったから。

今回の挑戦はこれまでとの2回と比べて、いくつか大きな違いがある。まず1つ。「野宿はしない」という選択。これまでの2回はEscape vivi持参で走り続け、眠くなったら寝る戦法だった。ただそれは秋の挑戦だったからで、1月の夜はその程度の装備で乗り切れる気温ではないという判断からだ。24時間ぶっ通しで走る体力(眠気に耐える力)は無い。とはいえホテルでゆっくり泊まることはできない。となると、去年あたりから覚えた漫画喫茶泊まり。24時間利用できるのは琵琶湖周りでは大津にあるのみ。初日のゴールはこれで決まった。

2つ目は装備の軽量化。これまで使っていたバックパックはOspreyのKestrel28(1.4kg)で、山とロードを渡る長期間エンデュアランスには良いものの、ロードのみのコースだと少々オーバスペック感があった。そこで今回導入したのがTERRA NOVAのLaser 20(約400g)。軽量化はもちろん、荷物の出し入れが容易なのがポイント。容量の少なさは、今回は野宿道具が不要だということ、冬なので重量のある水分を持ち歩く必要が無い(ハイドレーションシステムは使わない)こと。コースをおおむね把握しており、補給食も必要最小限だけで十分だということ。結局総重量は4kg程度で済んだ。

最後に、今回は時計周りで進むことにした。彦根までの50kmをクリアしてしまえば、その後は一度は辿った道のり。道程のイメージがついているから走りやすい。1日目の近江塩津~大津が100km。2日目の大津~近江塩津が80km。元気のある1日目により長い距離を走れる。素晴らしい計画だ。

1日目 琵琶湖 東

屹立しているのが七尾山。綺麗な形をしている。


ずっとRajikoでNack5を聴くスタイルはいつも通り。荷物が軽い分足も軽い。琵琶湖東側に張り巡らされたさざなみ街道は信号が少なく走りやすい。石川県の冬では見られない冬の青空。遠く米原のほうに見える山景がとても綺麗で、ずっとその姿を視界にとどめていた。あとで調べたところ、「七尾山」というそうだ。琵琶湖周辺には石川県で馴染みの地名が本当に多い。七尾もそうだし、舞子、小松、熊野、志賀。HAKUIという文字もどこかで見た。(「羽咋」と書くかは知らないけれど。)そんなことを考えながら、とにかく走る。飲み物は500mlを一本購入し、半分はその場で飲む。残りはバックパックに付けておく。それはキープとし、以降は自販機で缶タイプの少量ものを補給する。食べ物は今回あまり食べなかった。近江塩津近く、西浅井のセブンイレブンでおにぎり2つ。38km地点のローソンだったかでどん兵衛のうどん(大)。70kmぐらいのところでチキンと肉まん。その他補給食にサラミ。それで十分走れた。もう少しまともなものを食べたい気もするけれど、まともなものを胃に入れると走りたくなくなる。 どん兵衛は少し長めに待って柔らかくしてから。寒い風に晒されながら食べる。美味い。

足は本当に疲れ知らずで、100kmの区間をほぼ完全に走り通した。 13時間22分。前回の白山白川郷ウルトラマラソンの記録と10分しか違わない。そういえば今回はシューズも変えていた。ASICSのDS GEL TRAINER 22。ランニングを始めた当初に使っていたものだ。クッション性を重視したもので足に優しい。これも奏功したのだろう。琵琶湖大橋から近江大橋の区間が意外と長い(17km)。琵琶湖大橋の手前でちょうどラジオのカメレオン・パーティーが終わった。そこからは気合いを入れて音楽を聴いた。平均ペースは6分半~50秒/km。いいね。

1回目の挑戦ではこのあたりで野宿。


近江大橋は個人的には1日目のゴールだと思っていて、そこからはスマホのながら歩き。調べていたのは美味しいごはん。橋を渡ったところで見つけた「かつ蔵」なんてもうばっちりなんじゃないかと思ったけれど、(世の中的には)3連休の中日だからか、9時近くだというのに店の中は満席状態。汗臭い姿で近づいていい雰囲気じゃない。っていうか世の中の人は、そんな時間に晩御飯食べたら太ってしまうとは考えないのだろうか? 運動しないくせに。と、世の中を恨む。結局コンビニで買い込んで、漫画喫茶「快活CLUB」に潜り込んだ。そこで炒飯を頼みはしたが、味は押して知るべし。コンビニ以外での食事はここだけだった。でも、シャワーはここで浴びられたし、ソフトクリームも野菜ジュースもオレンジジュースも飲み放題。ここで6時間を過ごすことを予め決めていた。カロリーとできる限り補給し、できる限り睡眠をとる。2日目のスタートは3時頃になる。そこから走り始めれば、12時間あれば残り80kmを走破できるという計画だった。実は2日目の夜に別の予定を入れてしまっていて、これは達成しなければならない制限時間だった。こういう縛りがあるから、チャレンジは燃える。

2日目 琵琶湖 西


結局、漫画喫茶ではあまり寝られなかった。どういう違いがあるのかは分からないけれど、よく寝られるところとそうでないところがある。例えば以前、岐阜で使った漫画喫茶は今回のところよりも狭く汚かったけれど、5時間ほど爆睡できた。一方の今回は1時間も意識がとんだかどうか。それも断続的に、10分程度を何回か、といったところ。けれどもゴールしたい時間は決まっていて、どれぐらい時間が必要なのかも想定がついている。ならばスタートを遅らせることはできない。結果、日の出までの数時間は本当につらく、1km走っては座り込む。そんなペースだった。筋肉痛ももちろんあったけれど、やはり耐えられないのは眠気。こればっかりはどう鍛えればいいのか分からない。鍛えるとしたら、眠くならない方法ではなく、どこでも寝れる力、なのだろう。

そうはいっても日の出の時間あたりから頭がはっきりし始め、北小松のセブンでレッドブルを補給したことでランニングらしいランニングができるようになった。ここからの道のりはしばらく信号の無い一本道。北近江路を突き進む。懐かしい白髭神社。近江高島あたりで、ちょっとした決断をした。通常のビワイチでは(といえばRUNではなく自転車だけど)湖畔道路に向かう(右折する)ところ、僕はここを直進し、高島市街を突き抜ける作戦を取った。そのほうが若干ながら距離が短くなるからだ。結果的にいうとこれが大正解だった。とはいえ、市街地のランニングは足に来る。このルートの歩道は自動車の走る道路から盛り上がっている形に作られていて、道路沿いの家の出口は歩道の盛り上がりがなくなる。要するに歩道が盛り上がったり凹んだりの繰り返し。足に相当負担がかかってしまったのだろう。徐々に右足首に異変が生じ始めた。この痛みが最後まで尾を引いた。

痛みを和らげるために、疲れを誤魔化すためにレッドブルを飲む回数が増えた。それでも、敦賀との間にそびえる山の連なりが近づくにつれて、ゴールを意識し始めた。このままのペースでいけば、12時間を切ってゴールできるかもしれない。痛みをこらえて、それでも走った。今津。マキノ。これまでの2回の挑戦で馴染みの地名。もうすぐだ。そう繰り返した。そしてもちろん分かっていたのは、最後の最後に向かい合わねばならない山越え。マキノから浅井までの山岳地帯だ。

さすがに登りはあまり走れなかった。けれども少しずつ。浅井まで4kmという青看板に心が躍った。国道8号線まで5km。これまでの経験から、この表記は本当に正しいと理解していた。だから地図はあえて見なかった。終わりを意識せずに走った。けれどももちろん終わりは来る。西浅井のセブン。前日のスタート時に朝食をとったコンビニ。ヨーグルトとサンドウィッチを買って、本当は近江塩津駅がゴールなのだけど、その2km手前のこのコンビニが僕にとってのゴールだった。

そこからはスマホのながら歩き。人なんて歩いていない田舎道。電車の時間を確認する。20分後に次の電車が出たら、その次はさらに1時間待たなきゃならない。仕方なく走った。そしてぎりぎり乗り込んで、今回の挑戦は終わった。

敦賀駅にて。

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テーマの著者 Anders Norén