HeartBreak One Run

走る。登る。回す。紡ぐ。

東海道五十三次(2020年12月26日~1月2日)

2020年12月26日(土)から翌年1月2日(土)の8日間で、東京日本橋から京都三条大橋までの東海道五十三次を踏破した。その2日後、この記録をしている時点で目立った痛みは残っていない。静岡から浜松間辛かった両ふくらはぎの筋肉痛はその2日後には綺麗に消えていたし、不安視していた左ひざ外内側の鈍痛も大津に着いたころには治っていた。左足首の痛み、これは岡崎のあたりから徐々に強くなり京都まで引き連れていくことになったけど、ゴール後連日の湯治の成果か、今時点では問題ない状態に回復した。痛みや疲れは運動をしながらでも回復するということを今回初めて実感できた。

もちろんそんな奇跡的な回復力は、コロナ禍だからこそ取れた十分な休息に依るところが大きいと思っている。年末の長期連休。通常であればホテルは超売り手市場な高値。その日どこまで進めるか分からない中で事前予約をしておくことは難しく、部屋を確保できないのであれば快活クラブ頼みになってしまう。

年末に関東圏を中心に増大したコロナ感染の波に飲まれ、世の中は自粛ムードに包まれた。年末の帰省も控えるよう強く呼び掛けられ、厳しい周囲の目。さらに経済刺激策として採用されたGoToキャンペーンも12月28日以降の連休中は適用外となり、ホテルではキャンセルが相次いだ。結果、ホテルも安い価格で部屋を出さざるを得なくなり、GoTo適用外期間はホテル側が30%割引するなどのキャンペーンも行われた。当日予約でも十分部屋を確保でき、さらにその価格は漫画喫茶とたいして変わらないという好条件が揃って初めて、全日程でのホテル宿泊が実現できた。そんな環境が回復を早め、結果、1日平均70km強の道程を7日間連続で走り抜けることにつながったのだと思う。

もちろん走り始めるまで、本当に行けるかどうかは不安だった。それは11月の自転車旅で壊した左足の膝のことだったり、古傷の左足のアキレス腱だったり、世間体だったり予想されていた今季最強寒気の到来だったり、いろいろ在った。それでも結果オーライ。本当に楽しい旅だった。

1日目(日本橋→平塚) 12月26日(土)

JR美川駅 5:31発 → JR金沢駅 5:51着。
JR金沢駅 6:00発 → JR東京駅 8:32着。
新幹線はもっと早くに予約しておけば安く買えたのだけど、結局のところ定価で買うことになってしまった。仕事の都合などもあって仕方の無いことだけれども、ちょっと勿体ないことをしたかなと思っている。始発の新幹線「かがやき」には全然人が乗っていなくて、金沢を発車した時点で3号車に乗っていたのは私1人だけ。東京駅に着いた時でも全部で6人も乗っていなかったんじゃないかと思う。東京駅の中はそれなりに人はいたものの、一目散に出口に向かったからセーフだと思ふ。東京駅から日本橋まではほんのすぐの距離で、新幹線が着いてから20分後。ちょっと写真を撮ってから、長い長い旅路の第一歩を始めた。

太平洋側の天気はびっくりするぐらいに晴れ渡っていて、石川県から来た私にはこれが本当に同じ国なのかと思ってしまった。もちろんそうなると思っていたから冬の連休は太平洋側に出てきているのだけれど。スピードはだいたいキロ6分40秒程度。朝早いせいだろう、銀座に通行人はほとんどおらず、いくつかの店舗でクリスマスの片づけをしていた。ビルの写真を撮っているおばちゃんが何人かいて、気になったので見てみると嵐の大きなポスターが出ていた。その後のラジオで、もうすぐ解散することになっていたのだと知った。

こんなに天気がいいのだから、ランナーもそれなりにいる。基本的にみんな私より早くて、次々追い抜いていく。赤いバックパックを背負ったお兄さんがなかなか良いLSDペースで駆けていった。高輪ゲートウエイ駅周りの開発がどんどん進んでいて、またでっかいビルとか建つんだろうなーなんて思いながら先に進んでいった。すると、あの時の赤リュックのお兄さんが再び後ろから現れた。コンビニにでも寄っていたのだろうか。その時だけならなんてことのない話だが、このお兄さんと私との間でこんなシーンがしばらくの間、何回も繰り返された。もしかしてこの人も東海道一筆書きを狙っているのだろうか? いや、それにしてはバックパックが小さすぎる。正直ちょっとうんざりしていて、横浜あたりでようやくお兄さんが居なくなってホッとした。折角の一人旅なのだから一人楽しく前に進みたい。

今回の旅は東海道五十三次を辿る旅と言いながら、細かく宿を巡るつもりは毛頭なかった。長い距離を進む上で一番面倒くさいのが地図読みだと思っている。山座同定のような地形読みと違って、コンクリートの道を国道何号だの旧東海道がどうのだとみていくのは本当に面白くないし、想像以上に時間を食ってしまう。だから今回の旅は、だいたい国道1号の上を進めていればオッケー!的な軽いノリ。1日目は起点の日本橋で日本国道路元標を見た以外、東海道五十三次の風情を感じるようなポイントは一切通っていない。品川神社にちょっと寄った後、そのまま進んで戸塚の手前で昼ご飯。「かつ庵」に入った。ここは熱海→日本橋ランニングでも寄ったことのあるお店。他チェーンでは100円かかる味噌ダレが無料オプションになっていたのが嬉しかった。おかげで結構食べ過ぎて、そこから1時間ほどゆっくり歩くことになってしまった。

今回の旅が成功した理由のもう1つは、タイムスケジュールが現実味のある設定だったことも関係していると思う。以降7日間(と半日)の道程を通して、予定より遅れたのは2日間だけ。大きく遅れた日(浜松~岡崎:2時間遅れ)も、雨が晴れるのを待っていただけで、その時間を差し引けば概ねオンスケか若干早めで進んでいた。初日の日本橋~平塚間。19時半着予定だったところ18時半に到着した。総距離68.04km。

この日の宿泊はホテルリブマックス。ゴール後、レストラン「洋食ゾロ」に行くのを楽しみにしていた。ネット情報ではボリューム満点な肉肉しさで超旨そう。ホテルからも近くてウキウキしながら向かったのだけど、どうやら夜はやっていないようだった。残念。代わりといってはなんだけど、大好きなとんかつチェーンの「松の屋」で持ち帰りカツ丼3人前(クーポン使用)を購入した。加えて翌日の昼ご飯。毎回お店に寄るのは食べすぎだし時間のロスも大きいので、ドラッグストアで海軍カレーパンなるもの(20%引き)を3つ購入した。身体の調子を整えるために牛乳を1L。調子に乗ってビール500mlも買ったけれど、結局ビールは半分も飲めなかった。アルコールなんてなくてもすぐに寝付いた。


2日目(平塚→三島) 12月27日(日)

カツ丼は帰ってすぐに2つ食べ、残り1つは深夜未明に食べた。その後6時のホテルの朝食がオープンするのに合わせてレストランに向かう。早く食べて早く出たい。そうすれば早くゴールして早く休むことが出来る。朝の7時10分、旅を再開する。足は若干重いものの痛みは無い。走るのには全く問題はない。

スタートしてまず平塚八幡宮にお参りする。ホテルのすぐ近くだったのだ。このあたりから東海道らしい看板が目に留まり始める。2年前だったか熱海~東京の旅をした時も通った道だから懐かしさもある。

この日のメーンは箱根越え。箱根峠に入るまでの約20kmはアップ区間みたいなもので、ウッキウキ気分で進む。キロ6分後半で走れていて、若干重みを足に感じるものの痛みは出ていない。これなら確実に峠を越えられる。

そんな余裕があったからか、初めて小田原城に寄ることにした。小田原自体はこれまで色んな旅で通過していたいたものの、城郭が外から見えづらく探すのが面倒で、もう近くのういろう屋を小田原城と見立てていいんじゃないかって(水曜どうでしょう風に)思うことにしていた。実は国道1号から300m程度しか小田原城は離れていない。その気になればすぐ行けるのだ。

お堀を渡って中庭へ。天守閣に向かう城壁。天守閣意外と小さい。実際のところ天守閣で戦うわけではなくて、そこまでいかに辿り着けないようにするか。そのための門や道の造りが要なんだろう。それはまた今度の話だ。小田原攻めが当時いかにエグい包囲戦だったかを学んだ上で、先に進む。

ちまちまと海軍カレーパンを食べる。が、正直あんまりおいしくなかった。(ごめん海軍。)それに加えて今回の旅に初投入したアミノ酸補給粉末「MUSASHI」。スポーツショップで半額で売られていたので買ってみた。広告で良く見ていたので飲んでみたが激マズ。以降、体力回復用ではなく眠気覚まし用の劇薬として使われることになる。

峠入り口の箱根湯本は東京駅もびっくりなぐらいの人ごみ。歩道には走るスペースなんて全くない。「密。密です」。色々と不安になり、車の隙を見て車道をダッシュして通り抜け、渋滞しつつある箱根路を登る。渋滞。通常であればこの時期は東京側からの下りが混むのだろう。しかし私が通った時に混んでいたのは上りの道。何故だろうと思いナンバーを見ると、湘南とか相模とか関東圏のものばかり。そうか、この渋滞は年越し帰省じゃなくて、クリスマス休暇からの戻りなんだと気づいた。そりゃコロナも収束しないわけだ。(オレが偉そうに言うことじゃない)

登り傾斜は想像していた通り結構きつい。だったら開き直って歩いちゃえばいいわけで、ラジオを聞きながら心地よく進む。箱根の登りと言えば小林アナの夜ラジオ(Nack5)。初めてチャリでここを越えた時からいつもここではこの番組を聞くことにしている。あれは3年ほど前の話だったか。当時は下ネタばっかりだったけれど、ここ最近は肉体改造ネタ。それはそれで結構好きだ。

よくよく考えて、「箱根宿」なるものがどこなのか確認していなかった。「箱根湯本」や最高標高地点、芦ノ湖付近、「元箱根」、その先の道の駅付近など、ポイントになりそうなところが結構あり、結局どこなのか分からないまま進んでいる。それなのに残りの距離が縮まっている感じがしない。想定以上に時間が掛かっていて精神的に不安になった。旅2日目のこの日。平塚から三島の間は様子見で、他の日程より相当短い50kmに設定していた。全行程歩いたとしても10時間も掛からないはずだった。走行距離だけがどんどん伸びていった。

そんな辛さを支えてくれたのがお馴染みのラジオ「カメレオンパーティー」(Nack5)。楽しいラジオを聞きながらだと時間を感じず前に進むことが出来る。箱根峠を上り終え、下りに差し掛かった時点ですでに累積走行距離が50km。足に余裕があったから良かったけれど、この後三島まで15kmの下りが続く。峠越えもありながらだいぶ距離が長くなっていたことに驚き、一方でそれでもちゃんと走れていたことに自分への自信を感じた。翌日の出発を早めるために、神社参りはその日のうちに。18時少し前に三嶋大社にお参りした。

ホテルの隣に業務スーパーがあったので、オレンジジュースと牛乳を1Lずつ買う。オレンジジュースはクエン酸による疲労回復狙い。牛乳はプロテインの補給用。以降、これがホテルでのルーティンとなった。ちなみにホテルはセレクトイン。カレーの朝食が好きで、お盆の自転車旅では別店舗でお世話になった。十分なセルフマッサージで疲れを取り就寝。この日の総距離 68.39km。

3日目(三島→静岡) 12月28日(月)

朝、大好きなカレーを食べて満腹状態からのスタート。通常であれば少し量を控えるところだが、外は雨が降っていて序盤は走れそうにないのでOKとした。

特殊なはっ水剤(自社仕様)を施したレインウエアとポンチョを装備して、朝8時に旅を再開した。世の中的にはこの日が仕事納めで通勤の車が多かった。雨具のフードをかぶっていて、さらに片耳にはイヤフォンが詰まっていて外の音が聞き取りづらい。防水グローブを付けると細かい作業が出来ないし、シャカシャカ感もあまり心地よくない。沼津に着く前に雨が止んだのを幸いに、早々に脱ぐことにした。

沼津から先は海沿いの松原。信号が少なくて走りやすい県道380号線。「千本街道」と呼ぶらしい。松原の中に遊歩道があって、コンクリで疲れた足を休ませるためにそのトレイルを進む。超楽しい。街道半ばで遊歩道が切れたので、今度はさらに海に近い防波堤の上の歩道を歩くことにした。これもまた超楽しい。砂山公園のあたりで吉原駅の近くで海から離れ、再び国道1号線に沿って走った。ふと「みなと公園」の看板を見て、ここが富士山に続くSea to Summitの登山道「ルート3776」の起点なのだと気づいた。そうであれば、きっとまた近いうちにここに来ることになるのだろうと、ちょっとワクワクした。

そこから先はしばらく不毛な道。国道1号線の脇に隠れた歩道を進む。この道は2年前だったか、パンクしたチャリを手で押しながらホームセンターまで歩いた苦い記憶が残っていた。今回は気楽な走り旅で、意外とスムーズに進み蒲原までたどり着く。流石漁業の街。街中はほんのりダシの良い香りが漂っている。

いい気分で進んでいくと、薩埵峠(さったとうげ)を示す道案内を見つける。行くか行くまいか。小田原城同様これまでは避けていた道だったけど、体力的時間的余裕から行ってみることにした。よくよく考えてこんな旅はきっと人生で一度きり。行けるところは行っておいたほうがいいのだ。まぁ3km程度の道だったし、結局その先蒲原に道も続いているしね。

友人から厳しい道のりだと聞いてはいたが、登山好きな自分としては大したことなく、案外あっさりビュースポットに到着した。実際のところ、(歩行者や自転車にとっては)道の分かりづらい国道1号線沿いの区間を走るよりもシンプルで良いようにも思えた。早朝に降った雨のおかげで富士山の頂は白い帽子をかぶったように染まり、冬の富士山らしさを見ることが出来た。
なんといってもさらにその奥に控える箱根峠。昨日あそこを越えてここまで来てるという事実が信じられない。さらに言えばもっともっと先から歩き続けているということ。そしてこれまで歩いてきた長い道のりが、五十三次全道程の30%に過ぎないということ。つまり、残り70%分を歩ききらないとゴールにならないという事実。そうだね、簡単にゴールしてしまっちゃつまらない。

憧れる心に試練があり 試練を超えてその道を歩き続けん

劔岳 早月尾根登山口 『試練と憧れ』

そこから先、清水からゴールの静岡までの道のりは大学生活4年を過ごした勝手知ったる通り。懐かしさを感じながら駅南のビクトリアホテルを目指した。夜5時半、到着。走行距離65.14km。体力的な余裕はまだある。

ここまでの区間は事前にホテルを予約していた。GoToキャンペーンの適用期間が28日までは有効だったからということ、変にがんばりすぎて無理をしないようリミッターとしての役割。それにいくらトラブルがあったとしても最悪ここまでは来れると思われたのが東京~静岡だった。これまでの旅で道も概ね知っている。しかし逆を言えば、その先の行程には結構不安が残っていた。筋肉痛はだいたい2日遅れで襲ってくる。前日27日の箱根越えのダメージは29日に来るだろう。そして29日に進む予定の静岡~浜松までの道。想定距離は79km。これまでの最長区間だ。本当に浜松まで進めるのか? 計画策定時、いろいろ考えて、ここから先は都度その日にホテルを取ることにしていた。その決断が出来たのは、皮肉にもコロナ禍のおかげだ。近くのスーパーで値引きされたお惣菜を買って、もちろん牛乳とオレンジジュースも補給して寝る。色々考えて、ホテル近くの兄の家に挨拶に行くことは止めた。

4日目(静岡→浜松) 12月29日(火)

静岡で泊まったビクトリアホテルでは朝食を付けていなかった。そのことに宿泊後気付き、翌日の昼ご飯用に購入していたパンを朝ご飯として食して早々にスタートした。朝ご飯を軽くした分ホテルを出てすぐ走ることが出来る。けど、想定していた通り足はだいぶ重くなっている。箱根越えの筋肉痛だろう。安倍川を越えて丸子宿を目指す。浮世絵で有名な茶屋が当時の姿のまま残っていると言われ、できれば見たいと思っていたところ、ちゃんとその前を通ることが出来た。基本的に細かい道とかは調べていない、運任せの旅だ。まだ朝の8時前ということで、お店もやっていないので写真だけ撮って先に進む。ここから先は山の中、宇津ノ谷峠越えだ。峠越えといっても今は大きな歩道付きのトンネルがあり余裕で進むことができる。そう思っていたものの直前の道の駅で旧道が残っていることを知ってしまう。ここもまた一生に一度限りの機会だからと、トンネルを使わずに峠を上り始めてしまう。

宇津ノ谷には綺麗なトンネルの現代道路のほかに、旧東海道だったトレイルロード(つたの細道)、そして古いトンネルがある旧道の3本が残っている(ようだ)。私が向かったのは古いトンネルの道。この道が意外と綺麗で趣深い感じに整備されていて、車じゃあまり通りたくない具合の道の細さも非常にGood。そして何より明治時代に作られたトンネルがまぁ美しいこと。たまに後ろを振り返りたくなるような不気味さを感じながらも、本当に素敵な道だと思った。

そこから先、岡部を通り過ぎて藤枝に向かう。お腹が空いたものの、島田で食べると心に決めて走る。小さな橋を過ぎる際、わずかな段差につまづいて盛大にすっ転ぶ。日本橋からここまで200km近く走っていて、筋肉痛以外にもやっぱり疲れは溜まっているのだと再確認した。手を少し擦りむいた程度で済んだので、良い薬だと思い気を付けて歩を進める。

藤枝の近くで昔のチャリ旅で野宿した公園の近くを通る。ちょうどここが国号1号線の200km地点だったようだ。あの時のことはホントに懐かしい。今はTCRをメーンのチャリにしているが、当時はまた別のに乗っていて、グラベル用のそこまでスピードが出ないものだった。静岡から安倍川を自転車で越える道が分からず、深夜に右往左往したことを覚えている。国1はバイパスで自転車通行不可。焼津に抜ける150号線はがけ崩れで通行止めだった。どうやって先に進めばよいか分からず時間を相当食ってしまい、疲れ果てて眠った藤枝の夜。結局金谷まで進んでその先の道を調べられず、輪行で帰った苦い思い出だ。それから1年後にTCRで東京→石川までを走破。どんどん行動範囲が広がっていった。

島田で牛丼特盛セット(ごまドレッシングどばどば)を食す。大井川を越えて金谷宿へ。ここでも一期一会「金谷坂の石畳」。せっかくだからと国道を離れてえっせほいせと上る。昔の人はよくこんな道を歩いたもんだ。丸石なんか敷かなくてもトレイルのままで十分歩きやすいのでは? と思ってしまう私はきっと素人なのだろう。上り切った峠道。途中、桜の花が咲いていた。流石しぞーか。

私にとっての静岡は静岡中部のことで、静岡中部は金谷までのことだと思っている。ここから先の西部には馴染みが無い。地名と地理がマッチしていない地域を進むのは精神的に結構きつい。金谷から先名古屋(宮宿)に至るまで、その状態が続くことになる。

結果、なんやかんやでこれまでは各宿の名所の写真を撮っていたけれど、この差先からの撮影が雑になる。本陣跡を探すより浜松に続く道を辿ることのほうが優先だからだ。この時点で、まだこの日の道のりの半分に過ぎない。日阪宿は華麗にスルー。掛川宿は結局どこだったのか。遠目に見える掛川城にも近づくことは無く、iPhoneの望遠で撮影して済ませた。ここで突然懐かしい旗印。大好きな「鐘庵(しょうあん)」のお店が見えた。三保に本店を構える桜エビのかき揚げが美味しいお店で、大学に入る前、兄に連れられて初めて食べた静岡の味がこのかき揚げ丼だった。島田で牛丼を食べていながらも耐えられずお店に入り、かき揚げ丼と海苔そば(冷)を食す。どちらも最高最強。この旅で一番おいしい食事だった。あぁ、どっちも大盛にすれば良かったというのが一抹の後悔でした。

袋井を過ぎ、見付宿に入る。すでに日は沈み真っ暗な中、この街は結構見どころが豊富で楽しかった。木造造りの佐鳴予備校や、洋館と鳥居の並ぶ建物、LED装飾された寺。もうB級グルメ感が満載。そんな心に余裕が持てていたところで、浜松まで行けると確信した。残り10kmの地点でホテル(セレクトイン)を予約。ここは安くていいね。大浴場もあり体を休めることが出来た。ただ、朝食がバイキング形式では無いということで、今回は付けるのを止めた。

この日の総獲得距離は83km。ペースはキロ7分台に落ちてはいるもののまだちゃんと走れている。ただ、ひざや足首には徐々に痛みが出始めていた。五十三次の道程の中で浜松はちょうど中間地点。あと3日で残り半分を駆ける。

5日目(浜松→岡崎) 12月30日(水)

30日未明から太平洋側は厚い雲に覆われて雨が降っていた。三島で遭遇したような通り雨ではなくしっかりした本降りで、この中は流石に走りたくない。Yahooの雨天図を見ているとしばらくすれば止みそうな感じ。せっかく7時スタートの準備はしていたけれど、様子を見ることにして二度寝した。実際のところ8時ごろには雨は止んでいたようんだけど、そんなわけで気づかず9時スタート。舞阪に到着したのが11時前で、スケジュール上の想定到着時刻からは1時間近く遅れていた。この日はこの遅れをずっと引っ張ることになる。

少し遅れて到着した浜名湖は雨が去るのを待った甲斐あって、快晴の下とても綺麗だった。湖の中に鎮座する鳥居。TCRで旅した時、最後に撮影したのがこの鳥居だった。ここから先の道のりが非常に過酷で撮影する余裕が無かったことを意味している。Googleマップの道案内で良く分からん道(住宅街や階段、田んぼのあぜ道など諸々)を引っ張りまわされ関ケ原のバス停で野宿した苦い思い出だ。
今回の旅でもこの浜名湖越えからが鬼門だった。雨こそ止んでいたものの、非常に強い向かい風が切れ目なく襲い掛かってくる。さらに向かう先は白須賀や二川などよく知らない地名ばかり。豊橋(吉田宿)だって行ったことはあるものの、愛知のどのあたりになるのかは見当がついていない。唯一の救いは白須賀宿を過ぎたあたり、静岡-愛知の県境のT字路。TCR自転車旅の時もここを通過で来た時に嬉しかった記憶がある。が、ホントその程度しかない。

その先、豊橋から御油宿、赤坂宿、藤川宿。このあたりはほとんど産業道路で見るべきものもなく、排ガスを吸いながら日の沈んだ暗い道を淡々を進む。道の途中、ロールマットを取り付けたリュックを背負った、フラットハンドルの自転車に追い抜かれる。たぶん前日、袋井とかそのあたりで見たことがある気がする人だ。旅をする中、同志と呼べるような人の姿はちょくちょく見られた。大概は自転車で、きっと帰省しようとしているのだろう。徒歩の方はどこまで行くのだろうか? 全行程スルーだろうか? ちょっと話しかけてみたい気持ちもあったけれど、夜だったことや内向的な性格が災いした。

それでもちゃんと歩みは進め、ようやくゴールの岡崎市が近づいてきた。あわよくば名古屋までなんて思っていた時もあったがすでに夜8時。無理は禁物だ。初めて来た岡崎は想像以上に発展していて、というかいろいろ電飾されていて綺麗だった。ウロウロして繁華街に入り込む。忘年会の酔っ払いがたくさんいた。そういう楽しみ方も世の中にはある。
川沿いには岡崎城。赤いライトで足元が電飾されているようだ。若干不気味である。この日予約したオーワホテルに近いこともあり寄ってみる。天守閣は正面からだと松が邪魔でいい写真が撮れない。遠景のほうが素敵な城だと思った。ホテル近くのローソンで夜ご飯を買いだめしてチェックイン。走行距離75.68km。

オーワホテルはこれまでのビジネスホテルと違って、洋風な佇まい。室内もオシャレな感じに仕上がっている。私は1人で寝るだけだからあんまり関係ないけどね。右足にマメが1つ出来ていた。フロントで爪切りを借り処理する。左足の膝の痛みがやはり気になる。ホテルに着いたころにはだいぶ収まってはいたが、走り始めると痛みが強くなる。残る道程もあと2日。

6日目(岡崎→四日市) 12月31日(木)

久々にホテルでの朝食。綺麗な朝焼けを見ながらお腹いっぱいに食べた。いつもは米ばっかりを食べるけど、洋館ホテルだからパンも食べてみる。結構旨い。やっぱホテルの朝食バイキングは格別だね。

この日辿る宿場は計5つ。箱根越えをした2日目に次いで少ない。逆に言えば、宿から宿までの距離が非常に長いことを意味している。結構厳しい道のりになるってことだ。この旅ではホテル到着後、いくつかのルーティンがある。牛乳とオレンジジュースを1Lずつ飲むこともその1つ。そのほかにも、ホテルに入ってすぐのセルフマッサージ。入浴後は足にシップ(ひざと足首、筋肉痛の出ているところ)。2日に一度のコインランドリー洗濯。そして日誌を書く。その日感じたことを記録して、後日このWEBテキストを書く時に参考にしているのだが、今見返してみるとこの6日目の記載はとても少ない。だいぶ余裕がなくなりつつあったのだろう。それでも名古屋にまで行くことが出来れば、そこから四日市までは良く知った道。押し切れる。そう信じてこの日の旅を始めた。ホテルを出て少し進んだところでまた鐘庵を見つけた。朝だったのでやっていなかった。残念。池鯉鮒宿、鳴海宿はちゃんと見ていない。正直もうどうでもいい。

名古屋市に入り、途中で桶狭間の公園を見つけたので寄ってみた。今川義元の首を取ったところのようだ。ただ、周囲を見ても狭間っぽい感じはしない。実際の挟撃はまた別のところで行われたのだろうか? 今でこそ情報は秒で伝わるが、当時はどのように伝達していたのだろうか。どんな情報がどう役立つか、取捨選択も必要だ。その判断は誰が、どのように? それはまた別の機会に、だ。

この日は寒波再到来。名古屋市内は摂氏1度で、熱田神宮に着いたころには雪が舞い始めた。TシャツにULジャケットを着ただけの恰好は結構寒くて、けれども雪舞い散る熱田神宮の景色はすごく素敵だった。明らかに周りに比べて変な恰好なため、賽銭を投げて早々に退散する。近くの公園で上下レインウエアを装備しその上からポンチョを被った。あと1枚防寒具はあるが、行動着としてはこれが今回所持していた中で最も厚い装備だ。今回、レインジャケットとパンツには自社オリジナルの特殊な撥水加工を施していた。その能力がここで遺憾なく発揮された。どんな強はっ水といえ、今使われる薬品には物理的な限界がある。それを無視した邪道的性能(詳細は極秘)で、雨は転がり落ちるというか生地の上でダンスのような不思議な動きをしながら弾き飛ばされていく。空気を切るように雪が流れていく。張り付くシマがないのだ。あまりに強力な薬品を使うためロゴが溶けてしまったものの、性能的にはたぶん世界最強。おかげで濡れずに前に進めた。

神宮を過ぎしばらく行くと、中島駅(何線かは知らない)が見えた。ここはちょうど1年前、京都側からスタートした五十三次踏破の旅でリタイヤしたポイントだ。あれは旅を始めてたった1日半でのリタイヤだった。初日、草津を過ぎた時点ですでにヒザに痛みが出ていて、それをかばって走ったことでもう一方のヒザも痛めてしまった。悔しい思い出だ。そこを過ぎるということは、ここから先は一度歩いたことのある道ということ。さらにもう少し進んで長良川に辿り着けば、2年前の秋に日本海→白山→太平洋の旅で通った区間。さらに言えば紀伊半島チャリ一周(未遂)でも使った馴染みのある道のりだ。走り半分、歩き半分ぐらいの体力にはなってしまったけれど、このあたりで五十三次完走はできるのだろうと確信し始めていた。

目指すのは四日市。シティホテルアネックス。ここが年末を過ごす宿になる。走行距離は75kmで、20時到着。ルーティンの洗濯をしながら「笑ってはいけない」を見て、乾燥機を回したところで眠ってしまった。気づいたら1時。年を越していたことより乾燥機から早く取り出さないと、とランドリー室に向かう。足に力が入らず、廊下でふらつく。そりゃそうだ。疲れていないはずがない。本当にここまでよく頑張ったと思う。

7日目(四日市→大津)  1月 1日(金)

計画ではこの日が最終日。但し、予定通り進んだとしても京都三条大橋に辿り着くのは2日の深夜2時という強硬スケジュールだ。計画当初、7日目に体がどうなっているかなんて全然想像できなくて、とりあえず想定時刻だけ埋めてみたといった感じで作っていた。ダメージが大きければ草津で宿泊するだろう。そうすれば2日をフルに使って三条大橋まで行くだろうし、大津であれば午前中にゴール。もし調子が良ければ2時間先行して1日のうちにゴールできる。もう出たとこ勝負だ。

ゆっくりと歩き始めたスタートだったが、国道25号と1号との合流付近で、「東京から400km」の標識を見つけたのは嬉しかった。本当にずいぶんと長い距離を歩いてきた。

この旅に向けて用意した携帯食は、サラミ3本にミルク飴1袋、MUSASHI(劇薬粉末)に賞味期限が1年も切れたアミノサプリ粉末(ある意味劇薬)。うち、MUSASHI1本と飴1個を除いて全て消費していた。山道とはいえコンビニや自販機で補給できるだろうと思い、継ぎ足しはせずに進む。

石薬師宿、庄野宿。これまでに見たような風景。国道25号線に沿って進むうちに東海道から外れ、亀山宿はスルー。別に気にしない。ただ、亀山インターの歩道が複雑で、すぐそこに見えるローソンに近づけない。ここで補給できなかったことで若干の不安を覚える。さらにその先の関宿。綺麗な街並みを見ながら進むうちに自販機すら素通りしてしまい、食糧飲み物ともに切れた状態で坂下宿に向かうはめになってしまった。

坂下宿といえば五十三次の中でもトップクラスにがっかりする(と言われる)宿。見どころになるような建物があんまり残っていない。坂下に至るまでの峠道は前日の雪が根付きとても歩き辛い。寒さで汗はかかないが、ここがちょっとしたヤマ場になりそうだと覚悟して進む。幸い坂下で自販機を見つけ、ホットコーヒー1本を購入し糖分補給。加えてアクエリアス1本を補充する。このアクエリアスが五十三次の道程上最後の補給ドリンクとなった。

四日市から先は山を越えて滋賀に入るため気温が低くなる。途中、トレッキングポールを持った夫婦が準備運動をしていた。コーヒーで心もちょっとホットになっていたので少し話をした。夫婦は地元の山好きで「ここからの鈴鹿峠は面白いよ」とのことだったが、これまでこの峠は国道のコンクリ坂しか通ったことが無い。なんのことだろうと思っていたが、どうやら国道を避ける形でトレイルの旧道が残っているようだった。雪が少し残ったその道はとても綺麗で足に優しく、コンクリとは全然違うと実感した。久々の山歩きに心弾む。トレイルを抜けた先に待っていた鈴鹿峠の灯台。1年前もこの灯台までは来ていた。けれど、夜だったこともありこのトレイルロードを見つけられなかったようだ。途中にはスノーシューの足跡が残っていた。もっと奥に上ることもできるのだろう。これもまた次の機会に。峠が県境となっており、ここから滋賀県に入った。滋賀県! 東京から歩き始め、本格的に関西圏まで来てしまったよ!

そこから先峠を下り、土山へ。再び雪がちらつき始める。久々のコンビニで1,000kcal分の食糧を買い込み、その場で食べ歩きする。山奥のため寒さがきつい。レインウエアの防寒装備を着込む。四日市から大津までは92kmで、ここが中間地点。まだ中間地点。時刻は15時少し前で残り45km。残念ながら、足のいろんな部分(両ひざ、両足首、右足の付け根)が痛みを出していて走ることは出来ない。1キロを11分で進むとして1時間で5キロ。9時間で大津までいければギリギリ1日中にチェックインできる。少なくともこの時点で、同日中に三条大橋に着こうとは考えていなかった。

そうと決まれば淡々と黙々と歩いた。とにかく前に進むしかない。土山から水口までの距離がとても長く感じた。そして水口に着き、大好きなとんかつ「松の屋」をここで発見! レインウエアを着込んだ格好で非常に申し訳ないが背に腹は代えられない。美味しいとんかつを腹いっぱい食べる。「松の屋」が好きな理由は3つ。1つ目はとんかつの味。かつやに比べて油が若干くどい。そのチープさが逆に良いコクになっていること。2つ目はご飯がおかわり無料。そして3つ目。ここの醤油の味が舌に合っていること。なんならご飯に醤油をかけて、醤油掛けご飯にカツの揚げカスだけで2杯ぐらいは食べられるというのがポイントなのです。2時間前に結構食べていたはずだけど、体はそのことを全く覚えていないようでもりもり食べる。

だいぶ気分が良くなって再び歩き出す。水口にもルートインだったりホテルが充実していて、なんならここで泊まっちゃいたい気分にもなったけれどそれを抑えて歩く。歩くだけなら全然いける。関節に痛みはあるものの、不思議と筋肉の痛みは無い。関節の痛みも、右が痛くなれば左の痛みが消え、左が痛くなれば右が消えといった具合で歩行できなくなることは無い。すごい勢いで体が回復しようとしているのを感じた。石部を過ぎると草津。草津宿も綺麗なところなのは知っているが、体力的にスルー。とにかく大津を目指す。本来東海道は、琵琶湖の一番南にある瀬田唐橋を渡るものだ。でもそんなこと言ってられない。最短距離なら瀬田川大橋だ。ここは琵琶湖一周で何度も何度も通っている。ほとんどホームみたいなもんだ。そこを過ぎればホテルはすぐだ。そう思いながら歩くも、草津から琵琶湖までが意外と長い。滋賀県の陸地なんて琵琶湖の周りに薄皮程度にあるだけじゃないか。そう思っていたが違うんだな。

それでもその時は来る。イオンが見えると大橋の合図。大橋を渡ればその先にとんかつ屋(いつか入ってみたい)があって、少し進んでコンビニ。もう少し進んで1号線に向かえばホテルに着く。予約したアルファーワンは去年琵琶湖一周の際にお世話になったところだ。走行距離92.57km。23時30分。この旅で最も長い1日が終わった。

8日目(大津→三条大橋)  1月 2日(土)

数日をかけて競う長距離マラソンレースでは、最終日がエキシビジョンになっていることが多い。エキシビジョンのコースはそこに至るまでに歩んできたような険しく辛い道のりではなく、笑いながらゴールできるような距離設定になっている。私にとっての8日目もそれに近いところがある。そんな最終日にしたい思いが草津から大津までを歩き切る原動力になっていた。

チェックイン時、せっかくなので朝食バイキングも予約しておいた。前回泊まった時もここの朝ごはんは旨かった。この朝食には田作りや出汁巻き卵、雑煮などのおせち料理も並んでいた。そうか、世の中はお正月なんだと強く実感した。それでもコロナ禍でお客は少ないのだろう。食事をしているのは私1人だった。折角こんなに美味しいのだからもっと食べてもらえたらいいなと思い、3人前ぐらい食べてやった。お腹いっぱいでもう入らないってくらい食べて、それから部屋に戻ってしばらくグダグダしていた。いつもであればなるべく早く出発していたが、この日は急ぐ必要が無い。夕方から友人との約束が入っているもののそれまではフリー。14時までに12kmを進めばゴールなのだ。たった12kmだ!

浜名湖以降の旅路を苦しめていた向かい風もこの日ばかりは落ち着いていた。快晴。足には何の問題もない。歩く限りは。そもそも走る気なんてさらさら無い。せっかくの旅をどうして急いで終わらせなきゃならないんだ。

スタートしてからちょうど1週間が経って、ラジオには出発した時に聞いていたパーソナリティーが戻ってきている。「良いお年を」と言っていたのが昨日のようで、同じ声で「あけましておめでとう」と新年の話をしている。旅の途中、何度か私も投稿してやろうかと思った。実は年末にこんなことをしてるんだよ!って。でも、世の中自粛ムードの中だからきっとそんな話を聞きたくない人もいるだろうと思って止めた。実際のところ、道中で人との接点は、お店の人かホテルのフロントぐらいしかいないのだけれど。あとは唯一、鈴鹿峠で話した夫婦ぐらいか。

道中はラジオ中心だったけど、パワーが欲しい時はサブスクで2020年のTOP100ソングなんかをかけていたりもした。今回の旅はラジオ専用にAndroidの中華スマホ1台と、メーンのiPhoneSEの2台構成で臨んだ。iPhoneの電池がすごい勢いで減るのに対して、Androidはまる1日充電不要で頑張ってくれた。7日目の最長踏破時には、残バッテリーが2%とかになっていたけれど。雪や雨が降って防風グローブを付けると、イヤフォンのコードの取り扱いが出来なくて面倒だった。それでもやっぱり、誰かの声は力になってくれる。

道中、人が多いところではマスクを着用していた。ちょうど12月半ばにfinetrackが出した通気性バツグンのやつ。手洗いですぐ乾くので毎日繰り返し使用できた。人がいなくなると上半分を折り曲げて呼吸しやすく、前方に人が見えるとそれを元に戻す。中のスポンジにハリがあるので、こうした折り曲げがしやすいのが隠れた特徴だ。最終日はずっと付けていた。走らないから外す必要もない。

たくさんの神社仏閣を見た。大きな神宮、大社もあればLEDでハートマークを門構えにしたお寺もあった。浜松から浜名湖にかけての区間には、丁目ごとに1社あるんじゃないかの勢いだった。世の中は本当に広い。大津を出てすぐの神社には、小学生の書初めみたいなものが階段に張ってあった。本当に面白い。
そんなことを思いながら、三条通りの上り坂を越え、ナナカマドの赤い実が青空に映える通りを物見遊山を楽しみながらそぞろ歩いた。京都一周トレイルの看板を少し過ぎたところで、「平安神宮まで0.5km」の標識を見つけた。折角だから行ってみよう。ここを訪れるのは大学生の頃以来だ。平安神宮と大原三千院。高校2年の時、深夜に見たKBS京都の特別番組『故郷』。その中で、この2つの建物は本当に強く印象に残っている。私の旅の原点がここにあった。人との交流が好きなわけでもない私が旅をする理由。美川から松本までの旅。日本海から太平洋までの縦断。そして今回の旅。そこには他者が介在する余裕などほとんどない。その分自分自身と話す時間が旅の中にあった。それは反省・内省のような自分と向き合うものとは少し違う気がしている。今の自分と本質的な自分の双方のベクトルを同定させる時間。その時間が本当に愛おしくて、だから私は歩く(走る)んだ。

神宮は、きっと例年ほどでは無いけれど軽い行列が出来るくらいに人は集まっている。「密。密です」。行列に並ぶのは憚られるけどお賽銭だけは入れたいと思って他に賽銭箱がないか探したけれど見つからず。まぁそれも運命だと思って、ようやくゴールに向かうことにした。

道を進むに連れて人は多くなり、風体の問題で若干気まずい思いをしながら(朝に洗濯したから臭くはないはず)、三条の駅前を通過し、赤信号が変わるのを人ごみから少し離れたところで待った。信号の先には木製の橋が架かっている。三条大橋だ。年明けに浮かれる人たちの中、ガッツポーズをする気は無くて、人ごみをするすると避けながら速足で歩き、橋の終点を過ぎた。そのすぐ左手に弥次喜多像がある。ちょうど1年前に起点としていたからよく覚えている。「日本国元標」のようなお堅い印から始まって到達した場所で待っているのがコミカルな表情の銅像。スペースも狭いのでとりあえず河原に降りる。これから何かのウオーキングイベントが始まるのだろう。デイバッグを背負った中高年がスタートを待っている。もしかして五十三次だろうか? そのほかにも京都には散歩道がたくさんある。

東海道五十三次の旅。総距離538.8km。バックパックを下ろし、河原に腰かけて。さぁ、次は友人の待つ坂本に行こうと路線を調べ始める。京阪の三条駅があれば三条京阪駅もありなんだかややこしい感じがする。調べても分からないし、まだ時間はあるし。とにかく行ってみよう。結局ゴールの場所にいたのは15分程度だった。でも、それでいい。ゴールしたことじゃない。動いている時間が愛おしいんだ。河原の空気も寒かったし。

後記

あれから2カ月ぐらい経って、3月に入るとようやく空気が春らしくなってきた。雪が解け、道が顔を出し始める。次は何処に行こうかを考えずにはいられなくなってくる。

今回の旅で感じたことは、道があるということは其処を辿る多くの人が過去にいて、人がいれば其処には歴史があるということだ。

五十三次の旅。その道中には過去に住んでいた街があり、学校があり、親族が居て、別の旅でも通った記憶。そんな、私自身の思い出を拾っていくような旅になった。その一方で。そこにはそんなちっぽけな欠片ではなく、もっともっと大きな歴史の流れがあったはずで。この道中、そんな歴史に対してとても無頓着だったと思うようになった。それは非常に勿体ないことだ。道を踏破するということ自体に違いは無いかもしれないけれど、もっともっと調べていれば、知識があれば。あの旅はもっと価値ある時間になったかもしれない。

そんな思いを胸に抱き、次に向かって。
「フォッサマグナ」と「諏訪信仰」についての本を探し始めた。

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テーマの著者 Anders Norén