HeartBreak One Run

走る。登る。回す。紡ぐ。

熊野古道 伊勢路

■期間   2021年12月30日~2022年1月2日
■距離   約170キロ

2021年の年終わり。当初は高知~今治までの区間を走る旅で考えていたけれど、改めて年末年始の休日の数を数えてみると、500kmを走るには全然日数が足りないことに気付いた。昨年の10日近いお休みが奇跡だったわけで、別の旅を考えなきゃいけない。沖縄一周はチケットが取れないからパス。その次に出てきた候補が熊野古道だった。

熊野古道。山歩きが好きならいずれは行ったほうがいいと方々から勧められ、けれどもその正体がつかめない。どうも熊野古道というものが1本の道ではなく、熊野をゴールとした様々な地域から発する道だということに気付く。古来京の都から向かう紀伊路に中辺路大辺路。高野山や吉野から向かう道もある。そんな中、冬でも歩ける道はないかと思っていたところ、伊勢神宮を起点とした伊勢路がWEBでお勧めされていた。総距離は170km。単純に距離だけ見れば琵琶湖一周と同程度で、年末年始の連休を使うのには相応しいかどうかと思った。けれども、中間地点に大津のようなシティがあり、信号も高低差もほとんどない琵琶湖周回道と古道を一緒にしちゃいけない。とはいえ170km。美川(日本海)~長島(太平洋)までの旅でも白山越えを含めて230kmあり、それを3日でクリアしている。もうちょっと旅の負荷を上げられないか。

そこで思いついたのが1つのルール。『無補給』だ。旅のスピードを上げるには荷重の減量が欠かせない。最も簡単な減量の方法は途中に補給地点をたくさん設けることで、その役割はコンビニが担ってくれる。だからこれまでの旅では、コンビニやスーパーが何キロ先にあるのかということを意識して荷物量をコントロールしていた。が、補給を禁止してしまえば、道程に必要な荷物全てをはじめに用意する必要が出てくる。その荷物を全て背負って歩く。この一年、加藤則芳氏の著作を再読していたこともあり、『背負う』ということにとても心が惹かれた。ちょうど自宅には購入したもののあまり使っていない大型ザックがある。これで行こう! 最終的に水抜き16キロの荷物を背負い、12月29日の終業後、出発した。

初日:12月30日 神宮内宮~瀧原宮

名古屋に前泊し、始発の名鉄線で伊勢に向かう。神宮内宮に最も近い五十鈴川駅から旅を始めた。内宮に向かう途中で見つけたのが『皇大神宮別宮 月讀宮』。ツクヨミは内宮に祭られる天照大神の兄弟にあたる。ちょうどこの旅に向けて初心者向けの古事記を読んでおり、馴染みの名前が出てきて嬉しい。その宮には父母(?)にあたる イザナギ、イザナミも祭られていた。適当にお参りしようとしたら、掃除をしていた方に順序があることを教えて頂いた。月読、月読荒魂、イザナギ、イザナミの順番だそうだ。手を合わせ、姉の天照が待つ宮へと向かう。

内宮はちょうど日の出が宇治橋の鳥居の中に収まっていて、たくさんの人が写真を撮っていた。こちらもちょっと写真を撮ってから、神聖な世界への架け橋を渡る。霜が降りていてちょっと滑りやすい。五十鈴川のほとりで手を洗い社殿に向かう。人は多いけれど、混雑しているというほどではない。ここはまだ旅のスタート地点。あまり時間を使うところではないから、手を合わせてすぐに外宮に向かう。この旅で用いる地図は、熊野古道世界遺産登録15周年事業実行委員会が発行した『熊野古道伊勢路図絵 令和の熊野詣』。全てイラストで書かれていて、実際ルートに合っているのかはじめは少し不安だったど、なかなかどうして。目印になりそうなポイントはちゃんと押さえてあって、八鬼山までは本当に役に立った。ちなみにこの地図はWebでPDFをダウンロードし、RaksulでA5冊子化した。1,100円で作れて一部自分用にアレンジしている。

途中にあったのが猿田彦神社。天孫降臨時の先導者のようだ。このあたりは本当に街中の道で、古道の感じは全くない。住宅街を通り抜け、外宮に到着。豊受大御神(とようけのおおみかみ)の名から、以前は邪馬台国のトヨを単純に想像してしまっていたが、その後日本の歴史を知るにつれて、どう考えても邪馬台国が存在していたとしたら、それはもっと西だろうと思うようになっている。それはまた、別の話。

地図に沿って街を歩く。ひたすら街の中。日中はラジオもつけなかった。見るところも色々あって飽きない。20kmほど進んでようやく1つ目の峠道となる女鬼峠。気合いを入れて挑んだものの結構あっけなく過ぎてしまう。これまでロード区間が多いこともあり、古道といっても伊勢路はこんなもんなんだな、と思ってしまう。(3日目の行程でその考えは覆される)

栃原の『バカ曲り』では線路の下を通る排水溝トンネルの中を歩いた。90Lサイズのザックを背負っている身としてはとても狭く、結構大変だった。ここでこの旅初めての給水をする。今回の無補給旅では水も自然の流水をなるべく使うことを意識していた。そのためにはそれなりの浄水器が必要となる。ソーヤーミニはもともと持っていたものの水の出がとても遅く、テン泊で必要となる水量を確保するには時間が掛かりすぎる。ということで、プラティパスのクイックドローマイクロフィルターを今回導入していた。ペットボトルにも合わせられるが浄水スピードを上げるには手で絞る必要があり、そうなると袋状の柔らかいウォーターサーバーと相性が良い。これもまた昨年購入していた。

初日は食糧がフルに入っているから、バッグがとても重い。水も含めると20kg近くあるかもしれない。それでも体に大きな不調は出ない。いつも愛用しているRush30なんかだと10kg弱の荷物で肩が死んでしまうのに。フレームの入った大型ザック。本体重量だけで3キロ近くあるものの、これはこれで結構良いなと思った。使っているのはカリマーのクーガー70-95。同サイズのザックだとGREGORYのバルトロが圧倒的人気なのに対して、ちょっと地味な存在ではある。が、横幅の広いバルトロに対して縦長のクーガーは重心がブレづらい感じがある。厚手CORDURA生地の頑丈さとか、これでもかと分厚い腰パッドとか、いかつさと不器用さが男心にズバっと刺さる一品だ。

初めて使ったのは10月ごろの信越トレイルでの旅だった。が、あの時は大量の積載スペースをいたずらに使っていただけで、あまりこのザックの本気を見ることはできなかった。今回のような冬の長期間旅はどうしても荷物が多くなる。そうなるとこいつの性能が生きてくる。加えて今回の旅で初導入となるfinetrackのカミナドーム2。信越トレイルでは大型ザックを使いながらツェルト泊というチグハグさ。ツェルトには慣れてるから設営や広さには特に不便は感じないのだけど、アリや蚊などの羽虫の侵入が避けられないところで不満は感じていた。その対策としてようやくテントを購入。どうせ重量UPするならより快適な広さにしてしまえと、2~3人用サイズにした。クーガーに詰まった荷物を考えなしにばらまいても十分なスペースがあり、通気口を除き室内密閉ができることから中の荷物を紛失することもない。テントを張る前に無くすのは別だが。結露もツエルトに比べれば全然少ない。重量に神経質になる必要がない大型ザックでテントを導入しない手はないと思った。

ひたすら歩いていき、下三瀬で夜を迎える。宮川を越える橋が遠くて大きく迂回するようなルートになっていた。橋を越えて国道42号をそのまま歩いても辿り着くところは同じだが、せっかくの旅なのだからせめて道中の峠はちゃんと越えたい。大回りを覚悟して三瀬坂峠に入る。日没後の山道。初めて歩く道ではあったけれど、意外と躊躇なく入っていけた。思えば2021年は白山の禅定道を中心に夜行が多かった。比良山系や信越トレイルなど、初めての道も多かった。そんな経験が合わさって、ライトさえあれば夜進むことに抵抗がなくなったのだと思う。この日60km近く歩いていたからか、峠道の上りでは足があがらず、下りでは足がふらつく。ダメージが結構きている。トレッキングポールを持ってこなかったのが悔やまれた。

ほうほうのていで峠を抜けて瀧原宮についたのが19時頃。この時間の参拝ってのはどうなんだろうと思ったが、一応社殿に向かう。この参道がとても長い。10分ほど歩いただろうか。奥の社殿を一目見て、ささっと手だけ合わせて引き返した。そういえば、伊勢の夜は店じまいが早いという。神様が寝てる時間に騒ぐなということらしい。ごめんよ、神様。

そこから少し歩くと、国道との合流地点に小さな公園を見つけた。アメニティ公園というらしい。ちょっとした芝生スペースを見つけ、横になる。もうそろそろ寝床を探したほうがよいかもしれない。初日ながらだいぶ体は疲れていた。ここでもテントは張れそうだったけど、信号の明かりがまぶしくて諦め、少し道路を進んだあたりの広場に設営することにした。行動距離は60km。当初の予定通りではあるが、思った以上に消耗しているように感じた。

21時ごろになっていたか、辺りはだいぶ冷え込んできている。とにかく風を防ぐ空間だけあればよいだろうと、フライシートを使わず本体だけを組み立てる。砂利でペグは刺さらないけど、自立型だし風に飛ばされることもないとタカをくくっていた。保温のためにすぐシュラフ&カバーに下半身を入れ、カレー飯を作り始める。時折吹く強い風がテントを揺らす。やっぱペグは使ったほうがよかったなと思いながらも、寒い中に外に出る勇気が湧いてこない。ふと、スマホが見当たらないことに気付く。ここまでの道程で地図代わりに使っていたからすぐ近くに転がっているのだろうけど、寒くて真っ暗な中探したくない。スマホのことはしばらく放っておいて夕食を食べ、横になって眠りについた。

入眠にさほど時間はかからなかったものの、目覚めもまた早かった。眠りを妨げたのは足先の冷たさだ。テントの生地に足先が触れようものなら一気に熱を持っていかれる。次いで風。テントの形が大きく変わるほどの突風がごくたまに吹きすさぶ。そもそも体全体も寒い。この時羽織っていたのはL1のはっ水シャツにL2の長そで(ドラウトフォース)。ポリゴン2ULにポリゴンジャケット、Montbellのライトシェルジャケットを重ねた結構な重装備だと思ったものの、それでも寒さが入り込んでくる。ただ重ねるだけじゃダメなんだと痛感した。冬用グローブを持ってきていたので手先だけは大丈夫だった。

2日目:12月31日 瀧原宮~馬越峠

結局寒さでそれ以上寝ることが出来ず、暖を取るためにマルタイラーメンを茹でて食べる。今回の旅のメーン食事は、カップ飯かマルタイラーメンのどちらかだ。少しあったまったところで、スマホ探索のため外に出る。が、見つからない。どうしようと思い悩んでいたころ、サブスマホのアプリで探索できることが分かった。これが上手くいき、テントの下に落ちていたのを見つけた。未明の3時頃だっただろうか、このままテントの中でもぞもぞしているだけなら行動しちゃおうと思い、旅を再開した。前日結構やられていたように思ったが、歩きのダメージは回復も早いようで、足には特に不調は無い。

道中何度か眠くなり、マットとシュラフで仮眠を繰り返しながら、夜明けには梅ケ谷に到着した。ここからツヅラト峠にいくか荷坂峠にいくかでルートが分岐する。 荷坂峠のほうが距離は短いのだけれど、せっかくの機会だからとツヅラト峠に向かう。峠手前の公園で再びマルタイラーメンを食べる。風のせいかお湯が沸点にまで届かず、芯の残ったあまり美味しくない仕上がりになってしまった。こういう時にクッカー用風よけって必要なんだと思った。

その先一石峠。ここもあまり印象には残っていない。たいしたことなかったんだろう。さらっと過ぎて紀伊長島に入る。ここにあるのが古里温泉。せっかくだから寄ってみたけど、混雑のためしばらく待つ必要があると言われてしまい諦めた。少し進んで海岸沿いの崖を辿る道。能登に近い雰囲気で結構よかった。三浦峠に始神峠。長いロードにたまに出てくるトレイルと言った感じ。若干予定より遅れてはいるけれど、まだまだ全然調整は可能だった。

夕方が近づくにつれて、次の宿泊場所について考え始めた。前日の寒さを教訓に、なるべく早く寝て深夜行動にしたほうがタイムロスが少ないと思ったからだ。できれば人里で寝るのは避けたい。となると次の峠となる馬越峠。宿泊場所が決まると次に必要なのが水の確保。テン泊中は料理をするから一晩で2Lほどはキープしておきたい。そう思って流水を探すものの、良い場所が全然見つからない。そもそも周囲が人里ばかり。傍を流れる川の本流には人里から排出されるものが混じっているかもしれないのでパス。山に繋がる送水路はだいたいが枯れてしまっていた。

最悪道の駅のトイレで補充するか。でもそれは無補給の旅と言えるのか。道の駅で補充するならジュース買うのと同じなんじゃないかと自問自答していたところ、海山ICの下の水路に限ってやたら透き通った水が大量に溜まっていることに気付く。この水はどこから来てるんだ? Googleマップを見ると近くに『尊命滝』というのがあるようだ。若干歩かなければならないけど、ここで補給することにして、あまり人が歩いていないだろう砂利道を進む。1kmほど進むと滝が現れた。これこそ神さまの恵みに違いないと感動。その上ここの水がやたら美味い。ちなみにこの水が流れ込む銚子川はとても透明度が高いそうだ。

道の駅『海山』ではトイレだけ借りて素通りし、馬越峠に入った。結局のところ峠にもちゃんと流水はあったのだけど、尊命滝の水の味を知ってしまった舌には少し砂臭かった。下り道ももうすぐ終わりというところで広場を見つけ、テントを設営した。前日の反省から今度はちゃんとフライシートも取り付ける。ここでもペグがうまく刺さらなかったけれど、グロメットさえ通せばペグ無しでもフライシートは付けられるんんだとこの時ようやく気付いた。やはりテント設営の経験が全然不足している。

この日の行動距離は55km。時間的には大きな遅れは出ていないけど、距離的にはだいぶ不足している。未明行動のため、早めに就寝する必要があるからだが、予定通りでないことはやはり気にかかる。

足先の寒さ対策として、シューズをはいたまま寝袋に入る。ランニングシューズならではのメリットだ。上半身にはレインウエアを加える。シャツ、ポリゴン2UL、ポリゴンベスト。ここにレインウエアを来てその上からライトシェルジャケット。保温層の間にかっちりした防風層を作り、さらにその上に保温層を重ねる構成だ。結果、不快になるほどの寒さは感じなくなった。

ご飯を食べるとすぐ入眠。ちょうど年跨ぎの0時ぴったりに目が覚めた。しばらくうつらうつらとラジオを聞いていると、2人組が話しながら通る声が聞こえた。夜に動いている変人は何処にでもいるんだな。

3日目:1月1日 馬越峠~大吹峠

1時頃から旅を再開した。気温が下がり切る未明の時間は敢えて行動時間にする。年明け早々Nack5のお笑い番組を聞きながら、八鬼山を登る。この区間が相当長くて時間がかかる。茶屋跡手前で初日の出を待っている方の投稿が読まれた。私も見たい! 山頂にある桜の森広場でラーメンを作りながら夜明けを待つ。そのうちにサンダルで来たトレランのお兄さん。とても寒そうだが元気いっぱいだ。一度はさっと通り過ぎたものの、日が昇り始めると再びやってくる。そりゃご来光、見たいよね。2022年の明るい光とラーメンで心と腹を満たし、伊勢路最長トレイル区間の八鬼山を下る。

下り道でタイムカードを落とす。この区間で大きく時間に遅れが出ていることには気づいていたので、あまり気にせず進む。思えばこの旅ではいろんなものを落としてしまっていた。インスタントコーヒー詰め合わせパックは1杯しか飲んでいないまま落としていたし、リップクリームもこの日使った後、何処にいったか分からなくなってしまった。三浦峠のあたりで自宅から持ってきていたペットボトルの蓋を失くしたことに気付き、代わりにプラティパスの浄水器を差し込んでいたところ、今度はその浄水器の蓋を何処かで落としてしまった。後日談にはなるが、帰宅後finetrackのグローブの左手も見当たらなくなっていた。これら失敗の原因は慣れないクーガーの取り扱いでファスナーやベルトの締め忘れが多発したこと。もう1つは小物収納に装備していたフロントバックが思いのほか扱いづらく、早々に取り外してしまっていたことだ。結果、フロントバッグに入れるはずのものが全てほかのポケットに押し込まれることになり、何がなんだか分からなくなってしまった。

曽根次郎坂太郎坂という不思議な名前の峠道のあたりから、細かいロストが繰り返し発生するようになってきた。ここまで非常に有効だったパンフレットに載っていない分岐などもあったからだ。全てイラストの地図。後半に行けば行くほど作者も力尽きてきたのかもしれない。その代わり頑張ったのがブラウザで見る伊勢路のコースマップだ。GPSを有効にすれば自身のいる場所とも照らし合わすことが出来た。それでも二木島以降は、コースラインがあったとしても本当にこれが道? と思えるようなところが多く、それはとても細かったり、民家の裏庭みたいなところだったり。街中に出ても考えながら進まなければならなくて集中力を使うことになった。

そのブラウザMAPも波田須のあたりで誤ったルート表示があり、夕方近くだったこともあって結構焦ってしまった。結局道路上にあった標識を辿ることで大吹峠の入り口に着くことができ、峠を登り切ったところで宿泊することにした。人里から離れた雰囲気でありながら遠くから電車の音が聞こえ、ちょっと安心できる。

この日の区間はトレイルが多いからか、ペースが全然上がらなかった。歩行距離はたった35km。それに加えて2つのモバイルバッテリーの電気が全部尽きてしまった。うち1つはソーラー充電ができるタイプのものではあったが、さすがに太陽光だけではそこまで多くの電気は溜められないようだ。これも今回初導入の装備で、経験不足があだになった。電池不足の原因は、2日以降つけっぱなしにしていたスマホのラジオ。とはいえ、これが無いと旅が寂しいのだ。スマホの電池は節約できるとして、夜行が多い分ライトに給電できないというのが致命傷に近い。メンタル的にもこれ以上遠くに進む理由を見失いつつあった。ヘッドライトはLEDLENSERのMH5。単三電池でも稼働する優れものだが、今回の旅では持ってきておらず、無補給ルールから新たに購入することも躊躇われる。

行動食もだいぶ少なくなっていた。これについては予定していた通りの消費ペースではあったものの、もう2日歩くというのは難しい。今回持ってきていたのはサラミ5本。ロングライフパン6つ、型崩れのハッピーターンもどきや歌舞伎揚げなど3袋。朝ラーメンと夜のカップ飯含め3,000kcal程度を持ってきていたはずだけど、特に米菓子が美味しくてすぐに消費してしまった。行動パターンが朝、昼、夜でないことから食事のタイミングが狂い、パンも想定より多く食べていた。ザックのスペースに余裕はあったのだから、もう少し多く持ってきておけばよかった。というか、3,000kcalという設定がそもそも少なすぎる。

ストック無しで山に入ることにも不安がある。ところどころにボランティアの方が用意した木製の杖があり、有効に使わせてもらっていたが、やはり使い慣れたストックに比べると扱いづらい。重い荷物を背負って夜山に入るのは思った以上に体力を使う。特に下りになると体を支えられず力が抜けることが多くなっていた。そうなると一番の課題は熊野那智大社から本宮大社にいたる大雲取越と小雲取越 の20kmを越える山道だった。

結局無理をせず、パンフの終点となる速玉大社をゴールにすると、この夜決めた。

4日目:1月2日 大吹峠~熊野速玉大社

旅の終わりが見えたからか、なんかすっきりした気分で進む。大吹峠の下りで水を補給。ライトの光が水中でキラキラ光る。何かと思ったら、大量発生した川エビの目が明かりを反射していたのだ。美味そう。。。だが、それもまた別の話だ。ちなみに今回の旅、マルタイラーメン単体ではカロリーが足りないから、具もいくつか持ってきていた。その1つが乾燥油揚げ(カップうどんとかの具に入っているやつ)で、もう1つが海老を練り込んだ天カスだ。茹でたマルタイの中にこれらを入れると、汁を多く吸ってくれる。猫舌の私はどちらかというと汁なし麺のほうが従来から好きなので、結構いい仕事をしてくれた。

大吹峠を越えて松本峠。ここは自転車旅でよく見ていたところだ。ここが最後の峠道。石畳を登って下りる。結構シンプルな道。ここから先はずっと海沿いを歩く。花の窟神社に寄って、近くの道の駅で服を着替えた。残り20キロ弱。ゴールが見えてきたからこそ綺麗な恰好で歩きたい。それにしても序盤からここまでいろんな道をグネグネ歩いているけれど、結局国道42号の近くをウロウロしているのに過ぎないというのがちょっとムカつく。それなら初めからこの道を歩けばいいじゃないかと思ってしまうけど、それじゃ古道の情緒が無いんだな。

美浜町の海岸で2回目の日の出を見る。山から見たのも綺麗だったが、海から上る朝日も綺麗だ。心が洗われる。待っている間にここでもラーメンを作る。この旅最後の調理となる。

浜街道はひたすら海沿いの道。伊勢路マップでは住宅街を通るルートになっていても、どうせすぐ憎き国道42号に合流することは分かっていたから、もう42号をひたすら真っ直ぐ進む。地図を見る機会が少なくなり、無心でとにかく歩く。ずうっと同じ景色に見える。思い返せば今回の旅。どこもかしこも同じような風景ばっかりだったように思う。だからいろんな地域の印象が薄いのだ。

ラジオに飽きてapple musicを見ていたところ、ACIDMANの新譜を発見。大学生の頃から好きだったバンドで、今になっても時々無性に聞きたくなる。どうしても聞きたい曲があったのだけどタイトルを思い出せず、ランダム設定にしてその曲が出てくるのを待ちながら歩く。そうしているうちにゴールはどんどん近くなり、熊野川にかかる橋が見えた時、曲探しは諦めた。このあたりからはすれ違う人も増えてくる。適当に羽織っていたライトグリーンのライトシェルジャケットから、グレーのポリゴンULに変更。この時のために持ってきていた新しい真っ白な不織布マスクをつける。恥ずかしい恰好でお詣りは出来ない。(でっかいザックを背負っているのは置いといて)

熊野川。架かる橋はすでに車で渋滞していて、川べりの臨時駐車場にはたくさんの車が入っている。橋を渡り切ってすぐのところに速玉大社がある。境内に入り、社殿にお詣り。横に並ぶいろんな神々の別宮にもそれぞれ新年のご挨拶。170キロの旅のゴール地点。大社と名はついてはいるけれど、その境内自体はそんなに広いものではなく、思いのほかすぐに回り終えてしまう。せっかくだからとお札を頂く(買う、と言っちゃいけない)。ついでに足腰のお守りキーホルダーも。鳥居を出て一礼し、Garmin Enduroのログ取得を止める。旅の終わりはいつもちょっと寂しい。友人のゴールの連絡をし、JR新宮駅へと向かった。

駅にはそれなりに人が並んでいたが、それ以前の駅で乗る人が少ないようですんなり座ることができた。新宮~名古屋までの区間に結構時間がかかる。乗っているうちに、ふと名古屋で一泊できないかと考える。乗車券の日程は十分あるし、当日限りの特急券も1回限りだが日程を変えることができるようだ。名古屋駅のみどりの窓口に相談すると上手く変更ができた。すぐに大浴場付きのホテルを予約して、このまま名古屋で一泊。往路では味わえなかった『矢場とん』をようやく食べることが出来た。・・・まぁ、とんかつそのものは期待したほどのものではなかったけれど、オプションで付けた『どて煮』なるものがとても美味しかった。

後日談:1月4日 自宅にて

今回の旅。結果としては達成すべき最低ラインを越えたに過ぎないと言える。それも一部妥協が入っていて、当初のゴールは熊野三山詣でであり、それには那智、本宮の二社も周る必要があったし、その時間的猶予は実際のところあったはずだ。けれども、私はその二社を諦めて、速玉大社で歩みを止めた。正直なところ、今回の旅で充足感は感じてはいない。けれども、15kgを越える重装備で150kmを越える旅をしたことは初めての経験だったし、道程全て無補給でいくというのも初めての挑戦だった。初めてのテント泊にはじめての紀伊山地。沢山の「初めて」を前にして、その時の私に出来ることを全て投入してのこの結果なのだと思っている。

例えば無補給ルールを無しにしてRush30の軽量装備で突っ込んだらどうだったか? きっと寒さにやられていただろう。それを避けるには10kg近い装備が結局必要になっただろうし、それで肩が死んでしまっただろう。いずれにせよ、6日間という休みを仕事に臨む英気を残したまま漫喫するには、ここがまでが限界だったということだ。そう割り切ってしまうと、今回の結末にも納得がいく。

ただし、ただしだ。それは今の私だからだ。来年の私はきっともっともっと道具の取り扱いにも慣れているだろう。山の夜道は克服したしテントの使い方も上手くなっていく。湯沸かし専門だったJetBoilにフライパンを付けて、マルタイを作るようにもなった。大したことないかもしれないけれど、料理のレパートリーも増えているんだ。

旅を終えて自宅に帰り、1日半もゆっくり出来る時間があったので、この記録も早々につけることが出来た。1月4日の昼から書き始め、途中ランニングに行ったりしながらすでに10時間近くが経っている。ちゃんと書こうとするとやっぱり結構時間が掛かるものだ。東海道の旅の時はホテルに入ってその日のうちにある程度書けていたから良かったけれど、今回のテントではそんな時間的余裕はなかったし、寒くてペンを握ることもできなかった。例えば4日午前いっぱいまで旅を続けていたとしたら、こんなに長々と記録を付ける余裕はなかった。記録が無ければ記憶はすぐに忘れてしまうものだ。旅をしたらちゃんと反省する時間を取る。将来のより良い旅のためには絶対に必要なことだと思う。

フロントバッグでの失敗を反省にして、早速ザックの改良を始めた。今あるオプショナルホルダーを使って何ができるのか。もっともっと旅は楽しくできる。もっともっと自由になる。『軽量化』からも解き放たれたこと。きっとこの旅で得た最も大切な価値観だ。

紀伊半島の見ていると、中辺地・大辺地を巡る旅もだいたい200キロ程度になるらしい。来年の年末年始はこっちに挑戦だ! なんて思いながら、この記録はここで終わる。

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テーマの著者 Anders Norén