HeartBreak One Run

走る。登る。回す。紡ぐ。

糸魚川静岡構造線を辿る(2022.GW)

■期間  2022年4月30日~5月4日
総距離 335.6km(糸魚川→信濃大町→松本→諏訪→甲府→静岡)

東海道五十三次の旅を終えた2021年初めごろから『フォッサマグナ』は旅のターゲットに捉えていて、同年のお盆休暇を利用してチャレンジしたものの体調不良で安曇野手前でリタイヤした。次のチャンスは2022年のGWだとだいぶ早くからターゲットに定めて準備を進めていたものの、4月初旬の練習で右ひざを負傷。旅の実現を絶望視していたものの、すがる思いで購入した低周波治療器の効果が想像以上に高くてGW一週間前に奇跡の回復を果たした。痛みの再発と練習不足の懸念を抱えながらもそれでも思い続けた憧れは止められず、旅の強行を決めた。

今年のGWの天気はしばらくはっきりしなかったが、結局荒天の到着が少し早まり、強く冷たい風は決行前日の29日に通り過ぎてくれた。あの雲が30日に来ていたら正直リタイヤもあり得たかもしれない。いろんな偶然と奇跡が重なって、リベンジ旅は成功。無事、日本海から太平洋を繋ぐフォッサマグナの旅を完遂した。

1日目:糸魚川~信濃大町~安曇野松川

GW初日、昨年同様の始発電車で糸魚川に向かった。忘れ物の無いよう前日からしっかり準備はしていたはずが、新幹線に乗った後で昨年拾っていたヒスイ海岸の石を忘れてきたことに気付いた。今回はリベンジ戦だから是非旅のお供にと思っていたのだが、仕方無い。いずれにせよスタートは日本海に触っていくつもりだったから、そこで拾い直せばいい。

前回はヒスイについてほとんど調べていなくて、コースを逆行してわざわざヒスイ海岸に行ったのだが、そんなことしなくても道中の姫川河口でも拾えることが分かった。幸いこの日は天気が良く、ウキウキ気分で海岸に行くといろんな装備を持った収集家が大勢でビックリした。前日の荒天も影響してか拾える可能性が高いのかもしれない、、、、が、私はここでそんなに時間は使っていられない。10分ほど石を探して(とりあえずキレイなやつ!)、姫川の上流へと進んだ。

ここからしばらくは一度歩いた道とはいえ、この1年近くの間に読んだいろんな本の知識と重ね合わせながら走っていると、当時とはまた違ったように景色が見えてしまう。結局前回と同じ場所で再び写真を撮る。せっかくだしフォッサマグナの露頭も再び見に行くことにした。昨年は立ち入り禁止となっていた区間にも入れるようになっていて、ちょっとお得な気分になった。見物していると観光協会のボランティアの方に声を掛けらた。フォッサマグナ上の山の成り立ちや、海岸に集まる色とりどりの石の話。いろんなことを聞かせてくれて、せっかくなので旅の計画を話してみた。私と同じようにフォッサマグナを辿る旅をしている人は案外多いらしく、厚く応援して頂いた。

この日は晴天で飲み物の消費が早い。水確保に用意してきたのは、熊野古道の旅でも活躍したプラティパスの小型浄水器。山間部ではそこかしこに流水があり、この水を有効活用させてもらうつもりだ。お金の節約という面だけでなく水をこまめに補給できるため、ペットボトル容器1本分しか荷物を持たなくていいのが肩に優しい。トンネル区間はヘッドライトを装着して走る。響き渡る車の騒音には辟易するけど、慣れてしまえば日差しを浴びなくていいし、歩道もそれなりにあることは分かっているのでだいぶ気楽だ。

長野県との国境付近。観光協会の方の話に出てきた真名板山(まないたやま)を見つけた。平成7年、梅雨時期の大雨で姫川沿いの山肌が崩れて土石流が発生。流域の集落は大きな被害を受け、川沿いを走るJR大糸線も復旧までに数年がかかるほどのダメ―ジを負った。その翌年、復旧工事の最中にこの真名板山が崩壊し、13名の方が亡くなっている。災害に見舞われながらも27年が経った今、こうして安全に歩けているわけで、復興を遂げようとする人の力強さを感じた。慰霊碑に手を合わせる。

長いトンネル区間を抜けて道の駅小谷へ。以前は素通りしたけれど今回は建物前の屋台で山菜ソバを頂いた。こごみが食べ応え十分で美味い。併せて購入したラムネ。これも美味しかったけど、製造元を見ると・・・。まぁ、栂海の水も南アルプスの水も、綺麗で美味いのには変わりはないか。。。JR西と東の境界駅「南小谷駅」にもちらっと寄ってみる。乗客だろうか、駅周辺には10人近くも人がいた。確かこの駅、乗り継ぎのために1時間以上も待たされることがあるのだとか。皆さん各々、近くを散歩してみたり写真撮影をしていたり。この待ち時間もまた大糸線の楽しみ方なのかもしれない。

白馬に入るあたりから、白く輝く北アルプスが目に飛び込んでくる。道路脇にバイクを止めて写真撮影を始めるバイカーさんもちらほら。昨年ここを歩いた時はあまり天気がよくなかったし、何より季節は夏だったのであまり意識しなかった。その分、今回5月の旅で見られた残雪の白馬は本当に綺麗だった。白馬駅ではベンチを借りて足裏保護用のプロテクトJ1を塗り直し。ここの駅前はオシャレな喫茶店や登山用品店が並び、とても雰囲気がいい。喫茶店からは「久しぶり~」なんてあいさつを交わすダンディなおじさんたちの声が聞こえた。昔一緒に山をやった仲間たちとの再会とかなんだろうか。なんか素敵だ。もちろんソロにはソロの楽しみもあるんだけどね、若干うらやましい。場違いな小汚いのが居座ると迷惑だろうから、準備が済んだら早々に先へと進む。少し行ったところにある道の駅白馬で豚角煮入りのおやきを補給する。おいひい。なるべく地場のグルメも楽しめたらいいなぁと思い、いろんなものを食べてみるつもり。

青木湖を越え、木崎湖の手前には昨年仮眠に使ったバス小屋がある。あの時は股関節の痛みに苦しんでいて、休息すればなんとかなると思っていたのだが結局治らず、大町でリタイアすることになった。今回も右膝の痛みを気にしていたもののこの時点でトラブルはまだ無し。そこを過ぎると海ノ口駅。木造の駅舎がとても雰囲気が良いので寄ってみる。何かのアニメの聖地のようで、ぬいぐるみが置いてあった。南小谷もだし、翌日寄ることになる豊科駅も。大糸線上の各駅にはメッセージを張り付けられるボードがあり、旅の思い出を記した沢山の付箋が張られていた。

一方でつい最近、JRが大糸線の収支率を発表している。3年平均で5.7億円の赤字らしい。電車の本数もそれほど多くはなく、実際どこまで地域の足として使われているのかも分からない。地域自体の縮小もやっぱりあるだろう。けれどもこの路線はあの土石流被災からの復興の標でもあるということ。白馬駅で見たおじさんの思い出の路線であること(たぶん)。張られた付箋一枚一枚に色んな人の思い出が込められているということ。そんなことを考えると応援の気持ちは抑えられない。が、だからといって電車を使ってしまうと私の本来の旅(徒歩!)の意義から外れてしまうのが悲しいところだ。

スマホじゃこれが限界・・・

いろいろと複雑な思いを抱えながら大町に向かう。晩御飯は大町のすき屋でカルビ牛丼大盛。しじみ汁を付けると1,000円オーバーで、ファストフードもしっかり食べるとなるとまぁいいお値段だなぁと思う。それでもちょっと物足りず、その後コンビニでスナック菓子とシュークリームを買って食べながら歩く。この日は大町から10キロほど進んだところにある道の駅で泊まる予定だ。時間に余裕があったので、疲れないよう注意しながら先へと進んだ。途中の公園でも一休み。両足かかと内側に出来ていたマメを処理した。シューズの紐の締め付けが弱かったようだ。初歩的なミスといえばそうなんだけど、いろいろやっているとつい忘れてしまうんだよな。そのうちチェックリストとか作れたらいいのかもしれない。高瀬川沿いの道は北アルプスパノラマロードと呼ばれるが、夜だったので景色は楽しめない。はじめはあった歩道も途中から無くなり、びゅんびゅん飛ばす車にヒヤヒヤしながら歩く。

初日の仮眠ポイントに設定していた道の駅安曇野松川に到着したのは夜10時ごろ。時間的にはほぼ予定通りではあるものの、走行距離が10kmほど長くなっている。人の来なさそうなベンチにマットを敷きシュラフに入る。残念ながら結構寒くて寝付き辛い。が、ここではあくまで仮眠。2日目の予定をどれだけ早く始められるかがこの旅前半のキモとなる。2日のゴールである諏訪ではやることがいっぱいだから、早く出発して早く到着したかった。

2日目:安曇野松川~松本~諏訪

結局ちゃんと意識が飛んでいたのは1時間程度だったろうか。3時ごろには寒くてもう眠れる感じではなくなったので、仕方なく旅を再開した。ここまで空気が冷たければ眠気もそう強くはならない。走るのは少し辛かったけれど、歩く分には大きな支障はなく、少しずつ前へと進む。わさび農場を過ぎたあたりでJR豊科駅を目指して川沿いの道から離れた。若干遠回りにはなるが、豊科駅の近くに会社の同僚の実家があるらしく、写真でも撮ってやろうと思っていたからだ。途中見る家々の乗用車、ランクル率が異様に高く感じる。それっぽい家をパシャリ撮影して、メール添付で送り付けて返事を待たずに先へと進む。その後、結局違う家だと返事が来たものの、別に今回の旅とは全く関係はないのでどうでもいい。

国道147号線を辿るうちにポツポツと雨が降り始め、荷物が濡れる前にと雨具を着込んだ。今回、愛用していたエバーブレスレグンジャケットは袖を切って5部袖にチェンジ。冬に使うことは難しくなったけど、その分無雪期は使いやすいようにした。(ホントは7部くらいにするつもりだったのに切り過ぎた。)その上にポンチョを羽織ることで雨濡れ対策はばっちり。ただ、やはり若干動きづらくなり、眠気も相まってここから先はほぼ歩いて進むことになった。朝食はセブンイレブンでおにぎりを2個。地元グルメもいいけれど、なんだかんだでやっぱり便利なのはコンビニだなぁ。

松本が近くなるにつれ、美川~飛騨高山~松本の旅を思い出す。ほとんど登山の経験もないままOspreyのKestrel28を背負って突っ込んだ5年前のお盆。乗鞍を越えた後、空いているホテルを探せど見つからず。当時は漫画喫茶に泊まるという概念がなく、10件近くあたって松本IC近くのルートインで、冷房が壊れた部屋でよければ、ということで泊めて頂いた。本当はあの時通ったJR松本駅西側を歩こうと思っていたけれど、マップを見ていると東側に松本城があり、うまい具合にコースもつながる。せっかくなのでこちらに寄ってみることにした。

松本城は大きなお堀に囲まれた立派なお城で、写真を撮りながらぐるっと回っていると、天守が無料開放されているという。さらに看板には待ち時間は10分程度と表示されている。それくらいなら寄ってみたいと列に並んだ。看板の通り、案外あっさり天守に入場。お城は外から見ると立派ではあるが、その中は意外に狭くて居住性はあんまり良さそうじゃない。やっぱり生活のためというより、戦うための建物なんだなあと思いながら、急な階段を上って下りて。火縄銃を中心にいろんな展示があったけど、あんまり予備知識がないのでそれ以上の感想があんまり見つからず、とりあえずざっとだけ見て退場した。天守を出てちらりと看板を見ると、待ち時間40分との表示。ちょうどいい時に入れたようだ。

松本城。まだそんなに行列は長くない。

松本城を出て以降、しばらくの間は退屈な市街地のロードが続く。郵便局発祥の地だったりヤマ屋お馴染みYamaRecoのオフィスがあったりした程度で、ずっと降り続く雨に辟易しながら、眠気で徐々にぼんやりしつつある意識をなんとか起こしながら歩く。気分転換がしたくてから揚げ屋さんでちょっと早めのお昼ご飯。山盛りから揚げにご飯おかわりを食べると余計眠くなる。雨でテンションが上がりづらいのもあり、走ることが出来ない分とにかく止まらずに歩く、歩く。

雨はだんだん強くなっていく。ほうほうのていで辿り着いた小坂田公園の道の駅。工事中のトイレの裏でシューズと靴下を脱ぎ、足を乾かしながらこの先の計画を考える。塩尻峠はこれまで辿ってきた国道20号線をなぞれば岡谷に抜ける。ただ、そのルートは非常に曲がりくねっていて、岡谷インター近くでは大きく遠回りをするように進まねばならない。一方、Googleマップで調べてみると、インター北部を直線的に抜ける徒歩コースがあるという。幹線道路が曲がりくねっているということは「何か」を避けるためであって、何かというのは大抵山か谷かのどちらかだ。たぶんこの直線コースは峠を無理やり抜けるんだろうなぁ。。。イヤな予感満載ではあったけど、その道が旧中山道ということで、東海道踏破者としてはこちらを行かねばならぬと心に決める。進んでみるとやはり、傾斜10度を余裕で超えていそうな上り坂。それでもどうせ雨の中走るつもりはなかったから、とにかくGoogleマップのナビを信じて歩く。Nack5で西武ライオンズの1点を巡る白熱のゲームを聞きながら歩く。久保さん、聖さん、カンナちゃんトリオでの掛け合いが面白い(野球知らんけど)。峠頂上あたりの浅間社を過ぎ、今度は暗峠(くらがりとうげ)を彷彿とさせる急な下りを過ぎ、ようやく岡谷インターと諏訪湖周辺の盆地が見えてくる。この日のメーンとなる諏訪大社下社まであと少しだ。

雨の中誤作動を繰り返すナビに惑わされながら市街地を抜け、8回に勝ち越した1点を守り切ったライオンズの勝利が確定した16時半ごろ、この旅の大テーマの1つである諏訪大社(下社春宮)に到着した。

全国に分布する御分社は一万有余社を数えお諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、敬まわれつつ巾広い信仰を有し、御神徳の数々は枚挙にいとまがありません。古くからある信仰には風と水を司る竜神の信仰や、風や水に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。
また水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くには必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされております。
神功皇后の三韓出兵や坂上田村麿の東夷平定にも神助ありと伝えられ、東関第一の軍神、武家の守護神とも尊ばれて来ました。精進潔齋を形だけする者より、肉を食べても真心込めて祈る者を救おうという諏訪大明神御神託や、浄瑠璃や歌舞伎の本朝二十四孝が世上に広まるにつれ、日本の屋根信州諏訪の地へとの参拝者も日と共に繁く、諏訪大明神の御神徳の厚きことが伺われます。

諏訪大社 WEBサイトより(http://suwataisha.or.jp/suwataisya.html

祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)は、古事記では国譲りで出雲から追い出された身。なのに諏訪大明神は武田信玄から武勇の神として崇められているのはなぜだろう。諏訪湖を中心とした配置から水の信仰は納得しやすいし、「み(水)・な・かた(潟)」という祭神の名前からも分かる。でも彼の出自は出雲では? はじめっから諏訪の地に逃げ込む運命だったってこと? このあたり、前後関係がいまいち分からない。

建御名方神の母とされるのが糸魚川の奴奈川姫(ぬなかわひめ)。ヒスイと黒曜石が産出され、縄文時代中期に栄えたフォッサマグナ線上に日本神話が重なる。諏訪信仰の最古層に潜む精霊ミシャグジと合わせて、このあたりをもっともっと知ることができれば文字記録の無い縄文の世界が垣間見えるんじゃないかと思うのだけど、またそれは別の機会に、だ。建御名方神は姫川を遡って諏訪に来たというから、ここまで私は彼の辿った道を進んできたことになる。彼は諏訪に入った後ここから出ないと宣言したけれど、私の旅のゴールはここではない。

諏訪大社 下社春宮 拝殿

春宮に参拝した後は秋宮へ。二社の間は1キロ少々離れており、その間にはお店や温泉宿などが並んでいる。晴れていれば富士山が見えるスポットもあるらしい。ここは中山道と甲州街道が交わる諏訪宿の本通り。雨で夕方だからかお客さんは多くはなさそうだったけど、なかなか風情がある道だ。5時少し前に秋宮に到着。春宮、秋宮とも拝殿はぱっと見似たような佇まい。2社がどういう目的で存在しているのかが気になる。秋宮の社務所では御柱祭の神札を頂いた。その際どうも気が緩んでしまっていたようで、ベンチに座ってザックに神札をしまう際にウエストバッグ(RUSH HIP)を置き忘れてしまう。今回の旅、RUSH HIPが果たした役割はとても大きい。前後に2つPUメッシュのポケットがあり、それぞれにペットボトルが1本入る程度の広さがある。今回は後ろのポケットに500mlのナルゲンボトルを入れ、その中に行動食のスナック&ピーナッツを入れていた。バックパックをRUSH30にすると良い感じに底部がボトルに乗っかり、肩から腰に荷重を移すことができる。結果、肩のダメージが大幅に軽減され、今回の旅では一切上半身にトラブルが出ることはなかった。ウエストバッグがなくなったことに気付いたのは秋宮をいったん出た後。正直いつから無くなっていたのかもその時は分からず、一番初めに思い浮かんだのは春宮のトイレ。ここから戻るのは大変だと一旦は諦めたものの、もしかして秋宮で神札を買った時?とベンチに戻ってみると、ちゃんとそこにまだ在って助かった。

諏訪大社 下社秋宮

改めて諏訪大社を後にして、その次に向かうべきは隠れチェックポイント。美味いと評判のとんかつ屋「丸一」が秋宮のすぐ近くにあるのだ。17時半ごろにお店に入ると他にお客さんはいなさそうに見えたが、どうもお座敷があってそこには団体客が入っていたようだ。キッチンには4人ほどの調理者がいて、皆手際よく料理を作っている。結構な数のお弁当が次々にカウンターに並べられていく。御柱祭に向けての準備なんだろう。ロースかつ定食を頼んでみたところ、時間がかかるそうなのでとんかつ定食に変更。何が違うのかは分からないけど、いずれにせよ楽しみ。出されたお肉は、とんかつというにはあまりにも大きすぎた。大きく ぶ厚く 重く、ただ脂身はほとんど無いのにジューシーだった。確かに美味い。美味いのだけど、個人的にはもっとギトっとしたアジのある脂身が欲しいかなぁ。。。どちらかというとお上品なお味でした。

これで本当にこの日の目的地は全て終わり。後は宿泊場所(快活クラブ 諏訪赤沼店)に行くだけだ。諏訪湖に沿って敷設されたランニングロードを時計回りにぐるっと回り、上諏訪駅の前を通って赤沼に向かう。道中があまりに住宅街の雰囲気満載。だんだん強まる雨足の中、本当に快活クラブがあるのかと心配しながら進んでいると、数キロ進んだところでロードサイド店の華やかなネオンが見えてくる。大きな通りに出るとむしろギンギラに輝きすぎている感のある道並み(サンリッツロード)で、その中にようやく快活の看板を見つけた。

電車が走る!

旅人にはお馴染みの快活クラブ。諏訪赤沼店はシャワー無料でランドリーもある。2日間の汗と雨がしみ込んだ衣服を脱ぎ、シャワーを浴びる。綺麗になったところで持参したシュラフを出す。これに入ると何処だろうとすぐに眠れる。そんな習性が身についているのだ。意識はすぐに飛び21時頃~24時頃まで眠った。目が覚めて汚れた衣服を全て洗濯する。シューズのインソールもぐちゃぐちゃだったので一緒に洗濯機に放り込み、ついでにタンブラー乾燥をかけたところ熱で収縮しカールしてしまった。もうシューズにはまりそうにない。相当焦ったものの、思い返せば以前インソールを入れ忘れたトレランシューズで加賀禅定道を歩いたことがあった。その時は下り道の後半になるまでインソールが無いことに気付かなかったくらいだ。今回のシューズはasicsのGEL KAYANO。ソール自体にGELが入っていて保護性ばっちりのやつだし、道もほぼ幹線道路で綺麗なはず。インソールが無くてもきっとなんとかなる。

3日目:諏訪~甲府

うつらうつらと仮眠を取りながら、足の疲労が少しでもなくなるよう低周波治療器を当て続ける。そんなことを繰り返しながら、朝4時半ごろ、快活をチェックアウトして3日目の旅を始めた。まずはじめに朝ごはん。すぐ向かいにあった松屋で豚丼大盛。美味し。松屋はいろんなソースがあるのが嬉しい。なにげに味噌汁も有難い。足にそれほど大きなダメージが残っている感はなく、前日とは打って変わって快晴の空の下、諏訪大社の上社を目指す。この日は5月2日。翌3日には7年ぶりとなる御柱祭が催されることもあって、早朝から大社周辺では物見やぐらが組まれ大忙しだ。上社本宮の神楽台?には御柱に巻き付けるものなのか、男とか女とか書かれた太いしめ縄が置かれていた

本宮を過ぎると小さな神社が並び、その1つが北斗神社。200段の石段を登ったところに祠があり、これは行かねばならないだろうとマゾっ気を出す。茅野市に入ったことを示す看板を過ぎて、そういえば上社の本宮、前宮、下社は所在地の市が違うんだな、ということに気付いた。諏訪一帯をぐるっとまとめて諏訪市にしなかったのには何か理由があるんだろうか。。。

前宮の入り口には若干迷ったものの無事参拝を果たし、諏訪大社四社巡りは朝6時半ごろに完了した。次の目的地は縄文文化のかつての中心「井戸尻」だ。早朝の涼しさと晴れ空の下、軽い足取りで走っていく。しばらくの間は国道20号を辿ればよいだけなので、ルート探索をする必要がないのも嬉しい。さらに諏訪湖を過ぎてからは基本下り基調。調子は良くなる一方だ。途中「綿半ホーム」というホームセンターに通りかかる。早朝から開いているようで、朝8時ごろすでにお客さんも入っている。ここならインソールがあるかも! と入り、無事GETした。

富士見の交差点で20号線を離れ、JR駅のほうに向かうと、「平出」と名の付くお店がちらほら。そういえばクライマーの平出和也さんも長野出身だっけ。この辺りの人なのかもしれない。(と思ってWikiったらそうだった。)思い返せば4年くらい前の白山で田中陽希さんと会ったとき、同行のカメラマンが平出さんだったと思う。またどこかですれ違うことがあったらいいなと思った。JR富士見駅。線路を越える陸橋を上がると立派な八ヶ岳の景色が姿を表した。西を見れば南アルプスの北端(たぶん甲斐駒ヶ岳)か、雪をかぶった山脈も見える。やっぱ長野は綺麗だ。そこから中央本線に沿って続く綺麗な農道。田んぼでは作業をする人がちらほら。静かで穏やかな空気。美しい景色。サイコーです。

信濃境の駅近くに井戸尻考古館はある。外見はとても立派に見えたけど、中に入ると地元の公民館のような雰囲気で、それでも私以外に数人の観覧者が入っていた。もちろん皆ソロ。こんなマニアックなところにデートで来る人はいないだろう。たくさんの土器やら土偶やらが並び、申し訳程度に説明が飾られている。

およそ5000~4000年前のこの時代、同じような住居に住み、同じ石器でもって雑穀農耕を営み、同じ土器を使い、世界観と神話伝承を共有し、ことばと風俗習慣を同じくする民族文化は中部高地から西南関東に広がっていた。
 これを鳥瞰すれば、甲府盆地を中心として東と西に両の眉を連ねたような地帯をなしている。富士はその左眼に見立てられ、右眼には諏訪湖が当てられる。そのころ、諏訪湖は汚れなき大地の瞳。富士もそのころ、おおむね今日の姿に近い山容を整え、断続的な噴火活動をくりかえしていたという。
月は西に生じ、日は東に出づ。日月の起源神話では左眼が日、右眼が月。そして火気の精なるものが日、水気の精なるものが月であった。富士と諏訪湖は、このような理にもかなっている。
 そこで、この地帯を富士眉月弧と名付けることができるだろう。ここ八ヶ岳の南麓は、その中で最たる中心地であった。そこでまた、この文化を井戸尻文化と総称することもできるだろう。

井戸尻考古館 富士眉月弧の説明書き

八ヶ岳を中心とした高原地帯は、「星降る中部高地の縄文世界」として日本遺産に登録されていて、この日の私の旅路は諏訪と甲府を繋ぐ「眉」の部分と重なる。しっかり遺跡を見る機会は井戸尻だけだけど、他にもいろいろあるんだろう。それもまた、別の機会に。

考古館を巡り、隣の民族資料館も見て。井戸尻遺跡は登呂遺跡のような広さの遺跡を想像していたら、山の斜面にぽつんと復元された住居後があるだけで整備された芝生公園といった雰囲気。ちょっと拍子抜けをした半面、何故こんなところに?と疑問を抱かざるを得ない。考古館の説明文に、初期の集落は敢えて山の斜面を削って平地を作っていたように思われるとの記載があった。井戸尻の近くで考えれば富士見から信濃境にかけての高原地帯なんかはそんな手間をかけずに集落を作れるだろう。それに、信濃境からすぐ近くとはいえ、井戸尻遺跡の場所はそこから下ったところにあり、周囲に集落を築けそうな平地は他に見当たらない。フォッサマグナの緩やかな、そこかしこにちょうどいい場所があるこの地で何故、あえて人目を避けるかのような場所を開拓したのか。文字が無いから当時の人の気持ちは分からない。ただロマンだけがある。

時刻はちょうどお昼。芝生の上でちょっと日向ぼっこをして、旅を進める。考古館前から続く「縄文街道」を通り、国道20号に復帰する。少し進んだ先の釜無川で山梨県の看板を発見。ついに長かった長野県区間の終了だ。ここから先はとにかく真っ直ぐ国道20号を進む。山梨県北部の北杜市はアニメ「スーパーカブ」の舞台だったようで、ちらほらキャラクターの絵が見られる。確かに第1話は滅茶苦茶面白かったんだけどね。2話以降は変な人だ出てきて色々台無しに(涙)。途中、道の駅はくしゅうに寄って巻きずしを食す。蒸したニンジンが入っている。美味し。ベンチで巻きずしをむさぼっていると、信玄餅ソフトなるものの上り旗が目に入る。これは食べねばならないだろう。1つ450円とお値段もそれなりではあるものの、通常比2倍量のビッグなソフトクリームに信玄餅、きな粉がかかったデラックスソフトクリームで大満足。ついでにこの道の駅では、甲斐駒ヶ岳からの雪解け水を自由に汲めるスポットもあって有難い。飲んでみると少し違和感。説明を読んでみると、ホントはそんなことしなくても綺麗だけど念のため少し塩素を混ぜているのだそうな。余計なことを・・・。一般の人は結局本当のおいしい水の味を知ることが出来ないなんて。まぁ、浄水の手間が省けたと思えばいいか。

そこから先、日光を遮るもののないひたすら真っ直ぐな道。下り基調ではあるけれど陽射しは肌を焼き、鼻の粘膜が乾燥でボロボロになる。200km近く歩いた足裏へのダメージの蓄積が地味に辛くて、日陰を見つけてはところどころで休みながら進んだ。ふと振り返ると小さくなった八ヶ岳。富士見から見た時は屹立する雄々しさを感じたけれど、甲府側から見るとたおやかで優雅な佇まいを見せてくれる。昔話で富士山にケンカを売って頭を吹き飛ばされたそうだけど、確かにその輪郭は富士山にも似ている。で、その富士山はいつ見える。。。?

甲府から見る八ヶ岳。稜線が綺麗。

韮崎、塩崎を越えもうすぐ甲府盆地。ただ、甲府市に行ってしまうとちょっと遠回りになるので、この日のゴールは釜無川沿いの快活クラブ 田富店に決めていた。甲府駅前経由に比べて5キロ程度のショートカットになるのだが、田富店の欠点はシャワーがついていないこと。どこか近くに銭湯は無いか調べてみたところ、あるわあるわ。フォッサマグナの真上だから下からボコボコ湧きまくっているようで、周辺にいくつも温泉が見つかった。その中でも遠回りせずにいける日帰り温泉「湯めみの丘」に寄ることにした。久々に足を伸ばして入れるお風呂に大満足。こっそり下着も洗う。finetrackのドライレイヤーはざっと絞ってそのまま着ちゃえばすぐ乾くので便利だ。ここから先残り7キロ、あまり汗はかきたくないので歩いて快活に向かう。時刻は18時を過ぎ日は傾きもうすぐ沈むというところ。ふと、湯めみの丘(本当に丘の上にある)から正面を見ると、雲が少しだけ晴れて、最近恥ずかしがり屋の富士山がちょっとだけ顔を覗かせてくれた。ちょっといい気分になって、今晩のご飯はなんにしよう~☆なんて思いながら歩いていく。が、そういやこの日はゴールデンウイーク。美味しそうなところは大抵お客でいっぱいで、小汚い自分が1人で入るには気がひける。結局快活近くの松屋で牛丼特盛。これはこれで美味しいんだけどね、風情がさ。

田富店にはシャワーもなければランドリーもなく、逆に言えば入ってからやることはほとんど無かったので、荷物の整理をしてすぐ就寝した。意識が飛んでいたのは6時間くらいだろうか。寝る時はとにかく低周波治療器。あとはドリンクバーで大量のオレンジジュースと野菜ジュースを飲むようにしているが、田富店はずっとオレンジジュースが品切れ状態だった。残念。ここも空気がとても乾燥していたけれど、温泉で買った手ぬぐいを濡らして顔にかけることでだいぶ楽になった。

4日目:甲府~清水

がんばらなきゃならない区間としてはこの日が最終日。予定では富士川を辿って河口に出て、そこから次の快活がある清水に向かう計画だ。予定より1時間ほど寝坊して(よく寝られたというのはとてもいいことだ)、5時過ぎに旅を再開した。この日の目標はシンプルに太平洋。特に見学スポットなんかは設けておらず、日本海から始めた旅の線を太平洋にまでとにかく繋げるのが目的だ。よく眠れた分足の調子はだいぶ復活していて、川沿いの平地なんかは余裕で走ることができた。初日の体調がベストだとしたら、4日目のこの日がその次に良い。

今回の旅ではOMRONの低周波治療器「HV-F081」を持ってきていた。4月上旬に痛めた足をなんとか回復させたいと購入したもので、こいつの活躍でこの旅が始められたといっても過言ではない。4月2日に痛めた右ひざ。17日まで痛みはほとんど引いていなかったのに、翌週ダメ元で購入したところ1週間で40kmを走れるまでに快復してしまったという奇跡の商品だ。今後の旅では必携品。通電パッドが滅茶苦茶高いのがネックではあるが、安価なサードパーティ品でも十分使えることが確認できている。

朝ごはんにすき屋で牛丼特盛。ご当地グルメがどうとか言っておきながら、結局コンビニと牛丼ばっかになってるのは仕方ない。美味いんだもの。ついでに近くの道の駅富士川にも寄ってみるが、朝早すぎて何もやってはいなかった。この日も富士山は山頂あたりがちょっと見えるだけ。まぁ、ちょっとでも見えたのだからそれでいい。ここから先はすぐ横をずっと通るのだからいずれ見れるだろう。気合いを入れるためイヤフォンを付け、音楽をかける。AppleMusicのステーション機能で、私の好みの曲が次々と流れる。ぐっとテンションが上がり、ランは止まらず富士川街道を突き進む。前日の反省からfinetrackのマスクを着けてその上にBuffもどきを被せることで、乾燥と日焼けを同時シャットアウト。若干の息苦しさはあるけれど、それでも肌トラブルの不快感に比べれば大したことはない。

当初の予定ではここから先はずっと富士川沿いに進んで海まで出て、そこからTJARゴール地の静岡大浜海岸を目指す。たぶんこの日のうちの到着は無理だから、清水の快活で一泊する、というもの。この計画には1つ大きな悩みがあった。最終ゴールは確かに静岡にしたい一方、富士に着いてから清水を経て静岡に向かうためのモチベーションをどう保とうかということだ。静岡はもちろん思い出の地であり、大浜海岸は憧れの地ではあるものの、フォッサマグナを辿る旅という意味ではほぼ蛇足となるこの区間。正直なところ、予定通り富士川を辿って太平洋に着いたらそこで終わりでもいいんじゃないか。早く旅を終わらせたいと思う気持ちが妥協を選ぶ道を模索していた。

そんな葛藤の中、52号線の道路脇に「清水までxxkm」と書かれている標識がちらほら見られた。このまま進むと富士に着くものだと思っていたので地図を確認すると、どうも国道52号線は途中から富士川沿いを離脱し、山間部を越えて興津に繋がるようだ。これを辿って直接清水に向かえば富士でエスケープする余地はなくなる。清水に着いてしまえばそこから静岡は10キロちょい。一息で行ける距離だ。完全ゴールを成し遂げるために退路を断つ。ついでに直接清水に行ったほうが富士川経由に比べて、総距離は短くなる。ここまで寄り道が多かったからか、行動距離は予定より15キロ近く長くなっている。総距離を短縮できるのはありがたい。よし、これでいこう。

西岸を走る52号線からはJR見延駅あたりで一旦離脱。距離の短い(その分アップダウンのある)東岸の線路沿いを進む。寄畑と井出の間の橋を渡って再び西岸52号線に復帰。そういえば富士山も南アルプスも、道の駅富士川を過ぎたあたりから全く見えていない。そもそも峡谷の中の道のため、周囲の山々に阻まれているのだ。ここまで来たらもうどうでもいい。橋を渡ってすぐのところにあるローソンでパンを2つ食べ、この日の食事は清水に着くまでこれが最後になった。途中の道の駅とみざわで一旦休憩し、ヤマ場に向けて足のお手入れをする。シューズと靴下を脱ぎ、足裏にたまった熱を解放する。Protect J1を塗り直し、触診で足に異常が無いかを確かめる。初日に出来たマメの痛みはすでにほぼ消えている。小指裏にも縦筋状のマメは出来ているものの、テーピングを施せば走る分には問題はない。ここから先、標識によると清水まで26キロ(実際は興津まで)。最後の力でがんばろう。

道中は歩道が右についていたり左についていたり結構な頻度で切り替わり、地味にめんどくさい。ところどころに小さな道祖神が立っている。流れている水はとても澄んでいて美味しそうだ。道の駅から10キロほど進んだところから峠越えが始まる。でも2日前に塩尻峠を越えたときのようなきつさは無く、あくまで自動車が走れる道。なんとなく東海道五十三次で通った鈴鹿峠を思い出す。モトクロスバイクの練習場があって、なんか楽しそうだった。上り切ったところで静岡県富士宮市の標識が出る。富士川の西側なのに富士宮なんだ、と思いながらとにかく先へ。ちらほらと「新清水ICまでxxkm」の標識が見える。清水という良く知った地名に心躍る。峠を越え、徐々に山里で人の気配を感じ始める。途中久々のローソンを見かけるものの、華麗にスル―。ここにあるなら後でいくらでもあるはずだ。新清水ICを過ぎ、ようやく清水に入ったぞ!と思ったら、そこから興津駅までまだ10キロ以上あるようで、そういえば静岡市ってやたら広かったよな・・・。ここから先、やっぱり下り基調ではあるけれどいつまでたっても見知った市街地に着かないことにフラストレーションがたまり、それでもよくよく考えれば、ここまで来たということは清水まで(つまり太平洋まで)、確実に歩いて到着はできる。その事実自体が結構な偉業なんだということを後で思う。

18時半ごろ、ようやくJR興津駅に到着。駅から少し歩くと興津宿公園。東海道に出る。1年半前に歩いた道だ。日は暮れて街灯がともり、歩いている人はほとんどいない。だからだろう、自然と笑顔になれた。これまで感じていた旅を成功させる使命感みたいな、辛さを抑えて前へと突き進もうとする強い踏ん張りが消えて、お気楽な観光気分で「あー昔ここ見たなー」と思いながらテクテク歩いた。途中のコンビニで割引されたホットスナックを数点買って食べ歩き。どこかに鐘庵(大好きなかき揚げ丼の店)ないかな、なんて思いながら。少し歩いてJR清水駅前を過ぎ、静鉄の線路に沿うように歩くと、この日の宿、快活クラブ清水春日店に到着した。チェックイン後は自分のブースに行かずシャワーに直行した。そういえばこの日はちゃんと晩御飯を食べていない。外に出るのも面倒だったので、3連続快活暮らしの中でずっと気になっていた混ぜそば(大盛)を食べる。これはこれでうまい。石川県の誇りハチバンラーメンの唐麺みたいだ(ここ数年行ってないけど・・・)。騒がしい客がいてあまり眠れず、結局とろっとした半覚醒のまま時間だけが過ぎた。でも大丈夫、その分明日ゆっくり寝ればいい。

5日目:清水~静岡大浜海岸

眠れないから天気をチェックしていたりして、5日目は気温が26℃まで上がりそうだと知った。それは辛いからなるべく早めにゴールしてしまおう。朝4時半ごろに快活を出る。ここから最終ゴールである静岡の大浜海岸までは12キロ程度。ゆっくり歩いても7時ごろには到着できるだろう。コンビニで朝食のパンを1個買って食べる。足の調子は良く、海沿いの150号線までの区間は自然と走ってしまう。太平洋が見えたあたりで日が昇り、東を見るとここでようやく富士山の全景を拝むことができた。

150号線は私が大学に通っていたころから開発が進んで大きく変わっていた。それもそうで、今思えば私がこの道を往復していたのは20年近く前のこと。気持ちは大学生のころとあんまり変わっていないつもりだったけど、いつの間にこんなにも時は流れてしまっていたのか。さらに道路の拡張工事のようなものが予定されているようで、以前あった道路沿いのコンビニが全て撤退してしまっていた。遠目にゴールとなる海岸の松林が見える。海沿いの自転車道路。ゆっくり時の移り変わりを楽しみながら歩いていくつもりだったけど、スマホからスピッツの「快速」が流れると、ついつい少しばかり走ってしまう。Trans白山チャレンジをした際に一番勇気をくれた歌だったからだ。今回、AppleMusicの選曲が本当に素晴らしい。

懐かしのイチゴロード。

大浜海岸は大学生のころよく散歩に来ていたところで、当時は海岸近くの公園がネコのたまり場になっていた。その時はあまり手入れされていない印象だったが、その後TransJapanAlpusRaceのゴールとして一躍有名になり、今となっては結構さっぱりした綺麗な区域になっていた。公園入口にはレースを紹介する大きな看板が設置され、歴代優勝者の名前が並んでいる。真っ白なコンクリの階段をのぼるとその先は砂浜。先客の釣り人がいるためあまり大げさなことはしづらいけど、まずは海にタッチ。そして、糸魚川から連れてきた石を海に放り込んだ。Garminのログを止め、長い長い旅の記録をここで終えた。

最終総距離は335.59km。睡眠をとるときは一時ログを停止して充電することで、長い旅でも1レコードとして記録できることを今回初めて知った。ただ、その分データサイズが大きいのだろう、WEB転送が終わるまで20分近くかかり、その間、海岸に流れ着いた廃タイヤに座ってぼうっと海を見ていた。フォッサマグナを起点にヒスイと黒曜石が繋がり、その線上に星降る中部高地の縄文文化が重なった。その残影が井戸尻の遺跡であり諏訪信仰。諏訪大社は長い歴史の中で日本神話に組み込まれてからも、古来日本独自の精神世界がいまだに残されている。「富士眉月弧」として中期縄文の文化が拡散した経路はその後甲州街道へと名を変え、日本の象徴富士山に繋がり、太平洋に出る。今回の旅では触れる余裕はなかったものの、この道は明治維新後、絹糸の輸出を支えたいわば日本のシルクロードでもある。今回の旅は、よくよく考えれば東海道五十三次の旅以上に濃厚な日本の歴史を味わえるルートだったように思う。

5日目はエキシビジョン・デイ。濃厚な日本の歴史を味わった後、最後に私のちょっとした過去に戻る。それは学生自体の思い出だったり、憧れのレースの目標地点。ある意味これは私の未来の話かもしれない。まぁTJARに出場したいかと言われれば、レース形式はちょっと…と思う気持ちに加えてそもそも予選通らんでしょ、と思ってもみたり。山に対する考え方も以前とは少し変わってきていて、高い山に行くのが一番偉い!北アルプス最高!みたいな固執は最近はほとんどなくなって、テン泊のしやすさを考えるなら非国立公園で人の少ないところのほうが案外快適だったりする。とにもかくにも4日間と少しの間、心の底から自由を感じられる、そんな旅だった。

データ転送の完了を確認後、海岸を後にした。そこから静岡駅までは4キロ。特にログは取らず歩いて帰った。今回の旅が素敵すぎた分、次の予定はそう簡単には立てられないだろうけど。いつかまた、心躍る道を探せたらいい。

2022年GW 大浜海岸

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テーマの著者 Anders Norén